痛み止め

  • 感情は、【小さな悲しみ】くらいのところに落ち着くといいのかな、と思ったり。

  • 高校時代、私のポケットには煙草とライター、瓶詰めにした鎮痛剤が入っていた。煙草は学校にもバレていたが、しばしば教師にあげていたので(ある?って言うから…)停学等は免れた。年の近いやつらに聞くと、停学になったのが数名いたので運が良かったのだろう。

  • 市販薬OD。アセトアミノフェンが“こころの痛み”にも効いているというような論文をどこかで読んだ。コロナ禍でアセトアミノフェンのニーズが増え、対象を同製品としたが、イブプロフェンなどもおそらく同様の結果となるだろう、というような結び。論文名が思い出せないので、まあ都市伝説ということで。

  • 良い方向へ行きますように、良い方向へ。


宮地尚子『傷を愛せるか』(ちくま文庫)

宮地尚子氏の『傷を愛せるか』というエッセイが好きだ。いくつか好きな話があって、その中のひとつがあまりに以前の主治医を思わせ、転院の際に無理やり渡した。すぐに読んでくれて、気に入ってくれたようだった。

中に天童荒太氏の『包帯クラブ』という学園ものの小説の話がある(この本のあとがきも天童荒太氏が書いている)。傷ついた場所に行き、包帯でマーキングしたりラッピングしたり…。それは後に問題になるのだけれど、「ここに傷がありますよ」と明らかにすること、そしてその過程の中で、少しずつ傷が癒えていく。

最近、“手当て”ということについて考える。“手当て”という日本語がいい。手を当てる、あったかそうだ。何かが伝わってきそうな感じもある。落ち着きそうな気がする。オキシトシンだって出るかもしれない。

高校時代の「痛み止め」は、まさしく私の中にある痛みを抑えるものだったのだろう。クラスには仲の良い友達もおらず、なんとかやっていた部活でも一定の距離を取っていた(マネージャーは誰とも等距離にいなければ役に立たない。それに女子同士の取るに足らない言い争いには辟易していた)。家に帰れば無言か罵倒か、とにかく落ち着くどころではなかった。他のクラスには友人がいるにはいたが、結託して学校をサボっていた。夜中にどちらかの部屋に行き、酒を飲み煙草を吸った。ぽつりぽつりとしか話さない。一緒に遊びにも行かない。

脱線した。いつも頭が痛かった。「痛み止め」が解決してくれると思った。飲めば頭痛は治まった。頭痛がしなくても飲んだ。薬を飲む自分が好きだったのだろう。弱さだってあるのだと、私は私に言い訳をしていた。

痛みは止められないけれど、添えられた手は温かいのだと知っている。じぶんにも、体温はあると信じている。

いいなと思ったら応援しよう!