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私の『あとで買うリスト119点』に見る内面の『欠け』と『想起』―自分の買わない買い物プロセスを考えてみた

自身の買い物を振り返る

私自身の「買わない買い物」プロセスを振り返る中で、ただ単に商品を見て購買に至るのではなく、内面に潜む「欠け」(何かが足りないという深い不足感)が外部の広告や口コミによって刺激され、過去の体験や感情がふと「想起」されることで、激しい自己対話と再評価が起こる?私自身でさえこの複雑な内面プロセスを完全に理解できていないので少し整理してみました。

私の「買わない買い物」のプロセスは?

一般的には、「認知→興味→欲求→購買」という順序で商品を選ぶことが多いですよね。
(AIDCAS、AISAS、DECAX、SIPS、VISASなどのモデルもあるが)
しかし、私の体験から言えば、「欲しい」と感じる瞬間は、外部の広告や口コミが表面的な触媒となるのではなく、私自身が内面に感じている「欠け」つまり、何かが不足している、あるいは埋められない部分に向き合い、そこから過去の体験や感情がふと想起されることで、精神的な覚醒が起こる瞬間だと捉えています。

私の場合、外部の刺激によって内面の「欠け」が顕在化し、興味が引き起こされるものの、同時に自己対話を重ねることで、最終的な購買に踏み切らず、「あとで買う」リストにとどめるという決断を下します。
このプロセスは、単に「買うか買わないか」の二者択一ではなく、内面での衝動と理性、そして自己再評価の激しい対話の結果であり、そのために私自身も完全には理解しきれず、非常に難しいものだと感じています。

興味と欠けの刺激は似てるのでは?

興味という感情と「欠け」の刺激には密接な関係がありそうです。
私の体験では、内面にある「欠け」(何かが足りないという感覚)が外部からの刺激によって呼び起こされると、その結果として興味が芽生えることが多いと感じています。
ただし、ここで注意したいのは、興味が単に「欠けの刺激」そのものと同一ではないという点です。
具体的には:

欠けの刺激

これは内面にある不足感や欠落感が、外部の情報によって顕在化されるプロセスです。この刺激があることで、「自分には何かが足りない」という認識が強まり、補いたいという感情が湧き上がります。

興味

一方で、興味はその「欠け」が刺激された結果として生じる、もっと広い意味を持つ感情です。
興味は、欠けの刺激によって引き起こされるとともに、外部の情報に対する好奇心や、新しい知識・体験を得たいという欲求、さらには感情的な共鳴なども含んでいると考えます。

潜在意識の渇望:内面の「欠け」とその認識

内側には、無意識のうちに「何かが足りない」と感じる潜在欲求が常に存在しています。
これは、単なる機能的な必要性ではなく、自己アイデンティティの一部や、社会的な承認欲求といった深層心理に根ざすものです。
この「欠け」は、私にとっては内面的な不足感として常に感じられており、その穴を埋めるためのシンボル―具体的な商品やブランド―を求める衝動となっています。外部からの刺激がこの潜在的な渇望を呼び覚ますと、過去の楽しかった経験や特別な感情が想起され、「これだ!」という強い確信へと昇華されるのです。

外部刺激は触媒に過ぎない:記憶の想起と内面の「欠け」の補完

私にとって、外部からの情報はあくまで内面に潜む「欠け」の火種に火をつける触媒でしかありません。
たとえば、テレビCMやSNS、口コミなどが、私の中にある過去の記憶や感情を想起させると、内側にあった「足りない」という感覚が一層鮮明になり、結果として「これが欲しい」という強い欲求に変わります。つまり、私は単に情報を受け取るのではなく、内面的な自己再構築のプロセスを経て、自己の「欠け」を補完する答えとして商品を求めるのです。(たぶん)

「欲しい」の多層的意味と私の消費行動の背景

従来は「機能的欲求」と「情緒的欲求」という二元論で説明されがちです。しかし、私の視点では、消費者が感じる「欲しい」はもっと多次元的です。各層は、内面にある「欠け」がどのように感じられ、どのように過去の記憶が想起されるかによって顕在化します。

実存的欲求:

自分自身の存在意義を問い、内面の「欠け」を埋めるための根源的な衝動。単なる商品の機能以上に、自分の価値を確認するための儀式のような意味があります。

社会的シグナルとしての欲求

他者との関係性や社会的な承認を求める欲求。流行やブランドが提示するライフスタイルに共鳴し、自分のアイデンティティを再定義するためのシンボルとして働きます。

瞬間的衝動と長期的アスピレーションの交錯

一方では、突発的な刺激により一瞬で「これが欲しい」と感じる衝動が生じることもあります。
しかし、その背後には、自己実現や未来の理想像という長期的な欲求が常に存在し、内面の「欠け」が補完される形で最終的な購買意欲へと結びついていきます。

実際の消費行動:Amazon「あとで買う」リストに119点の意味

私のAmazon「あとで買う」リストには、多種多様な商品が119点も登録されています(笑)
このようなリストの存在は、私の内面で多岐にわたる「欠け」が存在している証拠であり、外部からの刺激を受けるたびにさまざまな記憶が想起され、それぞれのカテゴリーに対して「いつかはこれで埋めたい」という欲求が蓄積されていく過程を示していると考えます。

多様性の意味

このリストには、実用的な商品と、情緒的または象徴的な意味を持つ商品が混在しています。
これは、私が単一のニーズだけでなく、内面にある様々な「欠け」を補うため、あるいは自己の独自性を表現するために、
多角的な欲求を抱いていることを示しています。

保留行動の心理

すぐには購入しない「あとで買う」という行動は、衝動と理性、そして自己再構築の間での葛藤の表れでしょうか。
外部からの情報が一時的に私の「欠け」を刺激し、記憶が想起されることで「これが欲しい」と感じるものの、現実的な判断(予算や本当に必要かどうかの検証)によって、すぐには購入に踏み切らず、リストに蓄積されていると思われます。
この行動は、内面的な自己対話の中で欲求を再確認し、最終的に自分だけの基準で意思決定を行うためのプロセスだと考えられます。

まとめ:自己対話の結果としての「欲しい」とその行動

私が「欲しい」と感じる瞬間は、外部からの刺激により、内面に潜む「欠け」が認識され、過去の記憶や感情が想起されることで生まれます。そして、その感情は、単に機能的な必要性を超えて、私自身の独自性―他の人と同じではなく、違う存在でありたいという意志―と深く結びついています。
Amazonの「あとで買う」リストに118点もの商品が登録されているという私の行動は、こうした内面の複雑な欲求が具体的な候補として蓄積された結果です。これは、私が常に内面的な「欠け」を補おうとする自己対話と、過去の体験が想起されるプロセスの中で、慎重に意思決定を行おうとしていることの表れだと感じています。

私自身を振り返り、内面に潜む「欠け」や外部からの刺激によって呼び起こされる記憶の想起が、どのようにして独自の「欲しい」を形成しているのか、そのプロセスを理解しようと努めました。しかし、その複雑さに直面し、自己理解すらも容易ではないと実感しました。自分自身でさえ完全には把握しきれないのだから、他者、すなわち生活者の内面にある深い欠如感や多層的な欲求を理解するのは、なお一層困難であると痛感させられます。

こうした内面的なプロセス―内在する「欠け」が刺激され、記憶の想起を通じて独自の「欲しい」が形成されるは私だけではないハズ。
自分を俯瞰して気づいたことを、明日からの仕事に役立てます。


補足

「欠け」と「未充足ニーズ」はベツモノ

「欠け」と「未充足ニーズ」は似た概念に思えるかもしれませんが、私の観点から見ると、必ずしも同じものではありません。

「未充足ニーズ」

これは、現状で十分に満たされていない具体的な要求や機能的な必要性を指します。
たとえば、現行の製品が使い勝手に欠けている、または期待する性能に達していないといった点です。
マーケティングの文脈では、これを把握することで、商品やサービスの改善や新たな価値提案につなげることができます。

「欠け」

私がここで用いる「欠け」は、単なる機能的な不足感を超え、内面的な深い部分で感じる「何かが足りない」という感覚を意味します。これは、自己アイデンティティや過去の体験、感情的な充足感といった、より主観的かつ情緒的な要素に根ざしているため、必ずしも論理的・機能的な「未充足ニーズ」とは一線を画します。

つまり、「未充足ニーズ」は比較的客観的な機能やサービスのギャップに焦点を当てるのに対し、「欠け」は、私たちが内面で感じる漠然とした不足感や、自己を再定義しようとする深い欲求を含んでいます。このため、同じ「足りなさ」というテーマでも、捉える視点や意味合いが異なるのです。


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