
SNS自由化の時代に考える情報リテラシー(情報リテラシー編)
こんにちは、山下顕多朗(やましたけんたろう)です。
前回は、Meta社のファクトチェック廃止のニュースを題材に、SNS上のコンテンツ規制の問題について考察してみました。
前回:SNS自由化の時代に考える情報リテラシー(SNS自由化編)
今回はその続きとして、この超情報化社会において1ユーザーとしてどう情報と付き合っていくかについて自分なりの考えを書いてみたいと思います。
SNSとどう付き合うか
ファクトチェックからは若干逸れますが、誤情報の拡散の他にも、国際情勢や戦争に関する発信、誹謗中傷などといった投稿も問題視されています。風評被害、政治プロパガンダ、いじめなどに繋がると、言論の自由だけでは擁護できない部分も出てくるため、どこに線を引くかが難しくなってきます。
これらの問題についてはSNSに限らずテレビ、ラジオ、新聞、雑誌やその他のメディア媒体も共通に孕んでいるリスクとして存在します。そう考えると、今SNSで問題視されていることは今に始まったことではなく、公に情報発信するメディア媒体が存在する限り付きまとう課題だとも言えます。
そうなると、メディアはメディア側で取り組む課題もありますが、僕らがコントロールできるのは、受け取った情報をどう扱うかだなと思います。
事実と意見を区別する
世の中には真に中立であったり客観的な情報というのは殆どないと思ってます。本人にその意図がなくとも、その人の価値観や言葉選びから成る一種のフィルターを通して発言されるため、極端に言ってしまえばすべての発言はポジショントークであり、すべての報道は偏向報道とも言えます。
そこで大事なのは、その情報は事実なのか意見なのか、その2つを区別して扱うことです。
事実とは、今日の天気、電車の時刻、物の寸法など、誰からしても変わらないため、どの情報源を参考にしてもその内容や正確性は殆ど変わりません。
意見とは、商品の良し悪し、キャリアの選択など、人によって解釈が無数に挙げられるため、文面だけではその正当性は判断できない場合があります。
事実を正しく見る
事実と意見を区別すると言っても、表面上は客観的事実だとしても、そこに意味を持たせる時点で意図や解釈が加わったりします。これはニュース、ビジネスプレゼン、雑談などあらゆる場面で起こります。
細かい例を上げるとキリがないですが、俗に言う「詐欺グラフ」などに代表されるように、数字は事実だとしても見せ方が偏ってるケースがあります。
他にも、統計データにはそもそも集計時の前提条件や数など、データの持つ意味を解釈する上で考慮すべき点が多かったりするので、詳しく知りたい人はエレンバーグ氏の「データを正しく見るための数学的思考」が面白いのでおすすめです。
意見は量より質
事実と意見を区別した上で、次は意見に該当する情報をどう受け取るかが肝心ですが、僕自身が大事にしているポイントは以下の4つです。
実名/顔出しや対面で発信していること
本人の体験やデータなどの一次情報に基づいていること
ネットの書き込みよりも書籍出版など文責がはっきりしていること
自分の目的や目標にとって効果的であること
4つ目は、一見都合の良い情報に偏りそうにも思えますが、逆に今の時代は多様性の名の下あらゆる意見や考え方が飛び交い過ぎていて、情報が多ければより正確な判断ができるかと思いきやむしろ迷わすことになっているのではないかと思います。
その点において、最後は自分自身が向かいたい方向性として目的や目標を持つことで雑音を取り除くことも重要になってきます。
まとめ
SNSが発信の場としてどんどん自由化が進む中で、各個人が自身のファクトチェッカーとして機能することも重要になって来てます。そのための第一歩として事実と意見を分けることです。
客観的事実だからといってデータを正しく見る力を備えることが必要ですし、主観的意見だと分かっていた場合は何よりも自分自身にとって必要で有益な情報を絞る上で大事なのが明確な目的や目標を持つことです。
僕自身も、この超情報化社会で生き抜くために、常に自分の軸を持ってあらゆる情報に向き合っていこうと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます!スキ、コメント、シェアいただけると泣いて喜びます!