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波羅ノ鬼(ハラノオニ)という存在について④

はじめに

2021年5月16日にVirtual Artistの波羅ノ鬼さんの『ねがいごと』のMVがYouTubeで公開された。この曲はオニさんがデビューした2019年7月のアルテマ音楽祭で初披露され、その後もライブなどで度々歌われてきた曲だ。
満を持して公開された『ねがいごと』のMVが、2020年2月から開始されたプロジェクトの一環のナンバリングタイトルであることに、私はとても驚かされた。

最初にこのMVを観た時の驚嘆は筆舌にし難かった。このnoteを書きながら少しずつこの曲を解釈しているけれども、苦慮している。と同時に、改めてナンバリングのオリジナル曲は本当に考察のしがいがあると思っている。
では、『トラウマ』と『サイレン』をおさらいしつつ、今回の『ねがいごと』と絡めてオニさんを考察していこうと思う。

ナンバリング曲のおさらい

#1『トラウマ』では、幼少期のオニさんが暮らす鬼の集落が桃太郎に襲撃され、オニさんは母親(らしき人)を桃太郎に殺されてしまう。オニさん自身は桃太郎に刀で斬られる瞬間にタイムスリップしてしまい、結果的に命が助かる。『トラウマ』はそのタイトル通りオニさんを理解するうえで重要なトラウマとなる出来事が歌われた1曲であった。
続く#2『サイレン』。オニさんがタイムスリップして行き着いた先は1926年(大正15年/昭和元年)の渋谷駅だった。そこでオニさんは亡くなった主人を毎日駅前で待つハチと出会う。互いに大切な人を失った一人と一匹は心を通わせ、オニさんの傷付いた心が徐々に癒えていく。東京では1929年(昭和4年)から夕刻を告げるためにサイレンが使われ始めたそうだ。周囲の人がサイレンを聞いて家路につく中、最愛の人を亡くし孤独となってしまったオニさんを救ったのは間違い無くハチであった。
『トラウマ』と『サイレン』のMVの考察は拙著のnoteをどうぞ(読んでくださいお願いします)。

もう一人のオニさんは誰か

『サイレン』のMVの最後では、オニさんが現代の渋谷駅ハチ公前で人を待っていた。『ねがいごと』で判明したオニさんの待ち人はオニさんに瓜二つの少女であった。二人のオニさんと言えば、YouTubeに投稿されている『余命宣告』のacoustic ver.がまず思い浮かぶ。ただ、もう一人のオニさんはオニさんよりも暗い灰色の髪色をしており、『余命宣告』の女性とは異なる可能性はある。
では、もう一人のオニさんは誰なのか?

『ねがいごと』のMV中の病床のシーンで、もう一人のオニさんは過去の桃太郎の記憶がフラッシュバックしている。このことから、もう一人のオニさんは「トラウマ」の出来事を経験した人物であることが予想できる。過去の時代に存在した桃太郎が現代の『ねがいごと』にも存在していることから、生命は輪廻転生していると解釈できる。仏教における輪廻転生では、「消滅したエネルギーと新たに生まれ変わったエネルギーは別物でありながらも、流れは一貫しており意識が断絶するものではない」とされている。以上のことから、もう一人のオニさんはオニさんの母親の生まれ変わりである可能性が考えられる。そう考えると、『トラウマ』(上)と『ねがいごと』(画下)のそれぞれの画像は象徴的な構図であると思う。

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『ねがいごと』の曲としての立ち位置

『トラウマ』では大切な人(母親)を守れなかった後悔とそのトラウマを乗り越えようとする苦悩を歌っている。

トラウマフロイド 爛れた体 きっと誰も見たくなんかない
でも私は逸らせない
傷と戦う心をください 愛するための勇気をください
神様お願い 優しさがね 怖くなるほどに今
刻み込まれてる
どうすればいい?

さらに、『サイレン』では大切な存在(ハチ)を守るために強くなろうとする決意を歌っている。

君を守ると 決めた時から
何かが変わった そんな気がしているんだ
馬鹿らしいほど 単純だけど
それでいいと これでいいと 言って

そして、『ねがいごと』では、仇を討ち、大切な人を守るために戦うこと=オニさんが自身のトラウマを乗り越えること、という構図になっている。
そして、『ねがいごと』の概要には、

私の今に繋がる物語。

と書かれていることから、#3『ねがいごと』を以って波羅ノ鬼のバックボーンを描いたこのプロジェクトのストーリーはひと段落したのではないかと考える。

改めて波羅ノ鬼という存在を考える

・波羅とは
『ねがいごと』のMVのコメントに以下のような物があった。

『波羅』とは北伝仏教の伝統的な解釈では「彼方に行った」「彼岸へ至る」という意味らしい。
『波羅ノ鬼』とはこのMVで旅立った女性の事なのだろうか。

今まで、波羅ノ鬼の「波羅」についてしっかりとした考えが浮かばなかったので、noteに書けなかった。しかし、上記のコメントと今回のMVからある程度の知見が得られたと思っている。

「波羅」とは彼岸(ひがん)を示している。彼岸は現世である此岸(しがん)とは異なり、安らかな場所(向こう岸)であるとされている。中国語において波羅とは、「彼岸(不死と不浄)と解脱の達成」を意味する。『ねがいごと』で光の奥へ消えてしまったもう一人のオニさんが彼岸へ至ったのならば、上記コメントの通り真の波羅ノ鬼とは彼女なのかもしれない。
ここで、『ねがいごと』のMVでオニさんは紫色のマニキュア、もう一人のオニさんは水色のマニキュアをしている(画像左)。『余命宣告』のオニさんも水色のマニキュアをしている(画像右)。たかがマニキュアの色かもしれないが、『波羅ノ鬼』とは一体誰を指しているのだろうか。

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・波羅ノ鬼は不死なのか
『サイレン』のMVを踏まえて、私は鬼族は長寿ではあるが、死はある(『トラウマ』で鬼が桃太郎に殺されているから)と結論付けた。
『ねがいごと』のMVでオニさんは致命傷を負った。雪の中であの出血量、おそらく助からないはずである。しかし、今現在オニさんが活動しているということはオニさんが助かったということである。ここで、私は仏教の輪廻転生からこの出来事を解釈してみた。仏教において輪廻とは”苦”であり、この苦しみから解脱することが仏教の目的である。つまり、”輪廻からの解放=苦しみからの解脱=彼岸へ至る(波羅)”と考えることができるのではないだろうか。オニさんは助かったのではなく、死ねなくなってしまったのではないだろうか。このときに彼女が波羅ノ鬼となったと解釈することも可能と考える。

・鬼の力
オニさんは角が片方しかなく、『トラウマ』でも同族から揶揄されてきた。『サイレン』で角が折られた時に違和感を覚えたが(画像上)、今回オニさんの鬼の力が明確に現れた。この鬼の力も顔の半分にしか現れていないことから、オニさんは半人半鬼なのだろう(画像下)。

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メモ

考察に書けなかったが、気になる内容があったので一つだけ備忘録込としてここに書いておく。
・波羅題木叉
南伝仏教のパーリ仏典の律蔵のひとつ。僧の戒律を示した物。そのうちの「波羅夷」とは僧団からの永久追放を示し、大重罪である。

今後の予想と、さいごに

前述した通り、仇である桃太郎を倒したところでストーリーにひとまずの区切りがついたと考える。
しかし、オニさんはどうやって助かったか、光の中に消えたもう一人のオニさんがどうなったか、大切な物を守ろうとした結果大切な物を再度失ったオニさんはどうするのかなど、『ねがいごと』で新たに生まれた疑問もあり、オニさんの物語に興味が尽きない。『ねがいごと』が今に繋がる物語であるならば、上記の疑問を読み解ける#4『今の物語』が投稿されるかもしれない。
どちらにしても、次の楽曲は完全新作である。今から楽しみで仕方ない。

オニさんは現在、YouTubeで定期的に配信を行なっている。カバーとオリジナル曲をアカペラや弾き語りで歌っており、非常に幅広い楽曲を生歌で聴くことができる。オニさんのYouTubeチャンネルTwitterアカウントで配信の案内がされるので、是非チェックしていただきたい。


サムネイルを含む本稿の画像は全ての波羅ノ鬼さんの楽曲のMVから拝借しています。
2021.07.18
Kei_Waga(@k_waretuma

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