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オーストリア人と人生で初めて会った日の思い出話

hallo, かぬしゃいです。
雨模様のウィーンからこんにちわ。
12月中旬の寒さはどこへ行ったのやら、オーストリアは他の欧州地域と同様に暖冬真っ只中です。
スキーリゾートで有名なオーストリアですが、今年は雪が少なくて困っているスキー場もあるようです。
スキー場も困りますが、すでにスキー旅行を予約している人々にとっても大迷惑だそうで、私の上司は「今年はスキーリゾートで本を読むことになりそうだなぁ。あぁ。」と嘆いておりました。
だったら、キャンセルすればいいじゃんと思うのですが、そういう思考はないそうです。おもしろい。

さて、標題の件。
私が人生で初めて会ったオーストリア人のお話です。と言っても前説がメインになりますが、暫しお付き合い下さい。

そもそも、気づいたら漂着していたのがオーストリアだったので、これまでの人生においてオーストリアという国を特段意識したことはほとんどありませんでした。
強いて言うならば、オスマントルコが「ウィーン包囲」で攻めきれなかった場所であり、オスマントルコと同様に第一次世界大戦で消滅したハプスブルグ帝国の本拠地だなというくらい。
(注記:私は長らくオスマントルコ推しです。好きすぎてトルコ留学したほどです。)

もちろん、小学生や中学生の時の音楽の授業でヨハン・シュトラウスやモーツァルトなど、オーストリアゆかりの音楽家を勉強したりもしましたが、テストに出るから暗記したまでであって、そこから特段興味が湧くことはありませんでした。
そんなことよりも、当時の私は、どういうわけかイスラム教やアラブの文化、オスマントルコの歴史に魅かれて、ヨーロッパどころではなかったのです。

そうやって、ヨーロッパとは少し距離を置いて生きていた私は、大学4年の時に無事にトルコ留学のチャンスをつかみます。
留学開始こそは英語とトルコ語に苦しんだものの、数カ月もすればイスタンブールの素晴らしい雰囲気にまみれながら推し活(オスマントルコ史の勉強)に専念しました。
イスタンブールの街に繰り出しては、「あぁここはビザンツ帝国時代のベネチア居留地だ」、「ここはあのニケーヤ公会議の場所だ」、「おぉここがメフメト二世が攻め入った場所か」など、とにかくトキメキがひっきりなしに訪れる素敵な時間をひとりで楽しんでいました。

自分が今歩いている地面の下に、幾重にも歴史が重なっていることを考えただけで、毎日街を歩くことが楽しくなる。まさに好きな人を思うと毎日がキラキラする、恋に落ちる乙女と化していました。

しかし、そんな留学も1年で終わりを迎えます。
なんとしてでも、1日でも長くこの場所に残りたいと思った私は、日本に帰国して就活を終えた後は可能な限りイスタンブールで過ごすという強硬手段に出ます。
1年の留学生活でトルコ語もある程度話せるようになっていましたが、もっと話せるようになりたいと思い、学生時代最後の春休みの2か月間、イスタンブールのトルコ語学校に通うことにしました。

トルコ語のクラスでは、トルコ人と結婚したためにイスタンブールに住んでいる人や、トルコが好きだから長期滞在している人、トルコで研究している人などがいらっしゃいました。
その中でも、異色の滞在理由だったのが、私が人生で初めて会ったオーストリア人の女性です。彼女は、イスタンブールにあるオーストリア学校のシスター兼教員でした。

あまり知られていないのですが、イスタンブールの新市街(ベイオール、ペラ地区)には、ドイツ学校やフランス学校など、各ヨーロッパに所縁のある私立学校があります。
オスマントルコの時代のイスタンブールの中心地はブルーモスクやアヤソフィアがある旧市街でした。金閣湾をはさんだ”向こう側”の新市街は、郊外であり、十分な土地があったため、ヨーロッパからきた外交官や商人は、自らの邸宅や教会、学校、さらにはブドウ畑や広大な庭などを建築し、ゆったりとした”欧州風”のイスタンブールを楽しんでいたそうです。

19世紀にペラ地区に建てられたフランス大使館
出典:https://istanbultarihi.ist/430-istanbul-the-center-of-diplomacy

そんな欧州風の街並みが今でも残る新市街の一角にひっそりとたたずむオーストリア学校は、生徒数は少ないものの、トルコ語とドイツ語での履修が可能で、卒業後はトルコの大学入試とオーストリアの大学入試の資格が得られるので、富裕層にはちょっと有名な学校です。

とはいえ最も人気のあるのはフランス系のガラタサライ高校とドイツ学校で、その生徒数もさることながら、学費もなかなかの高額です。
ドイツ学校を卒業したトルコ人の友人は、語学の才能はもちろんのこと、ものすごい能力が高かったです。実家が大金持ちということもあり、英才教育を受けてきたのでしょう。

さて、クラスメイトだったオーストリア人の女性ですが、年齢はだいたい40歳くらいで、眼鏡をかけた物静かな女性でした。
オーストリア学校で宗教(つまりはカトリック)を住み込みで教えているということで、聡明かつ真面目。
当時は大学生だった私や、周りの若者のノリには笑顔で距離を置き(彼女は英語がほとんど話せなかったこともその理由のひとつでした)、ひたすら真面目にトルコ語を学んでいたことが印象的です。

同じクラスにはドイツ人の弁護士の男性がいたのですが、彼は30代前半だったため、私たちとつるんでくれて、たくさんの面白い話をしてくれました。

そこで、初めてオーストリアが少し変わったドイツ語を話していること(オーストリア人に怒られそう)、ドイツ人はオーストリアをあまり意識していないけど、オーストリア人はライバル心のようなものを抱いているのが不思議…ということなどを聞きました。

オーストリア人のクラスメートとはほぼプライベートの話をせずにすべての授業を終えてしまいましたが、今でもふとしたときに、必ず教室の左の一番前の席に座っていた彼女の後姿を思い出します。

もう10年以上前の話。
彼女はまだイスタンブールにいるのでしょうか。それとも、私と同じオーストリアに住んでいるのでしょうか。

もしかしたら、同じ地区に住んでいて同じスーパーに通っているかも、なんて想像すると、人生ってどこで何が起こるかわからないなとしみじみ思います。

もし、10年前の私にひとこと言うことができるなら…
彼女からオーストリアについて聞いてみて。将来役に立つから。とアドバイスをしようかな。

それでは、また次回!

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