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ケイスリー代表の幸地です <第2回:起業するなんて考えてもいなかった>

ケイスリー代表の幸地正樹です。5回にわたり、ケイスリー創業にまつわる話を綴っています。

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(2019年春のケイスリー沖縄合宿。右から2人目が私)

第1回では、行政コンサルタントとして働いていた2014年(33歳の時)に、TED動画で「ソーシャル・インパクト・ボンド(SIB)」を知り、「SIBの導入こそ、いま自分がやるべきことだ!」という使命感が湧き上がってきた、ということをお伝えしました。

今回は、そこからなぜ、どのようにケイスリー創業へと至ったのかをお話します。

SIBにのめり込む

すっかりSIBに夢中になった私は、それまで趣味に当てていた時間、夜や土日祝日、有給休暇といった自由にできる時間のすべてを注ぎ込みました。

社内で協力者を増やすために自主的な勉強会を開いたり、使える時間を増やすために新規事業として投資計画を作って役員に提案したり、社外では中央省庁や地方自治体、関連領域の専門家などにヒアリングや導入提案をしたり、外部セミナーを個人として開催したり。

思いつくことは、片っ端からやっていきました。

そうしているうち、日本最大規模の財団、日本財団が「SIBを推進する」と発表し、社会的投資推進室を発足させます。これはチャンスだと思い、セミナーに参加したり、知り合いに繋いでもらって話をしたり、最終的には「24時間対応できます!一緒にやらせてください!」とメールを送り、SIB推進チームにプロボノとして入り込むことに成功。そのチームで、日本財団や経済産業省による複数のSIBパイロット事業を進めていきました。

パートナーとの出会い

そこで出会ったのが、現ケイスリー取締役の落合千華です。彼女は当時、慶応義塾大学の研究員としてチームに参加していました。当時のチームメンバーはみな「戦友」なのですが、特に彼女については、得手・不得手が私と反対で、お互いに補完し合いながらうまく仕事が進められるという相性の良さに加えて、いろいろな物事に関心を持ち、情熱的に向き合っていく姿に魅力を感じました。

後に、私がケイスリーを創業し、「一緒にやっていく誰かが必要だ」となったときに声をかけ、最初のプロジェクトを二人三脚で進め、2年目には第一号の社員に、3年目には役員となって、ここまでのケイスリーを一緒に育ててきてくれました。同時に私生活でもパートナーとなり、公私ともに掛け替えのない存在となっています。

退職、そして想定外の起業へ

SIB推進チームには、業務の外でプロボノとして入り込んでいたとはいえ、当時の私は、あくまでこの動きを社内に持ち帰ることをめざしていて、起業することなど全く考えてはいませんでした。そして2015年には、アプローチしていた厚生労働省のSIBにも関係する調査を、会社の業務として受託するところまで漕ぎつけました。

同時に、次の動きをつくるべく、クライアントである行政にSIBの提案を持ちかけたり、社内の経営層や社員向けに勉強会を開いたり、有志が集まるランチタイムで説明したり、個人的に社外でセミナーをしたりという活動も精力的に続けました。

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(沖縄で勝手にセミナーを開催)

しかし最終的には、まだ市場が見えないことなどから、会社の事業としてこれ以上進めていくことは難しくなりました。その時点で有給休暇もすべて使い果たしていたので、これまでのようにプロボノとして関わり続けることもできない。今後は再び、従来のプロジェクトにフルタイムで戻るしかない、という状況になってしまったのです。

ちょうどその頃、経済産業省もSIBのモデル事業に乗り出し始めていました。いよいよSIBをめぐる環境が大きく動き出す。そんな兆しを感じながら、いま自分がやらないと日本のSIB導入が遅れてしまう、社会の変革が遅れてしまう、という私の危機感と使命感はますます強くなりました。

とはいえ、その先にSIBの市場ができるかは全くわからない。だから不安はありましたが、戦友たちの後押しもあり、最後には「やりたいことに振り切ろう」と起業を決意。2016年1月のことでした。

もう一つの出会い

創業後、SIBに関心を持たれていた研究者からの声かけで、軽井沢で1泊2日の勉強会を開くことになりました。SIBのために、わざわざここまで来る人がいるのだろうかと思いましたが、実際は20人弱が参加。そこにいたのが、現ケイスリー取締役の森山健でした。

2_人生の転機(SIB軽井沢合宿・2016年8月)

(森山と出会った軽井沢での勉強会)

1日目が終わった後のバーベキューで、「SIBには以前から関心があった。これで起業する人がいるなんてびっくりした」と声をかけられました。森山も別の話で自治体にアプローチをしているところで、「自ら発信をすると、関心ある人と繋がれるんだな」と感じたものの、その時点で一緒にやることになるとは思っていませんでした。ただ、彼の切り込んでくる力は印象に残っていました。

その後、森山からの誘いで、彼がコネクションを持っていた広島県へ一緒にSIBを提案することになりました。話はうまく進み、現地でプロジェクトチームが立ち上がることとなり、2017年には経産省のモデル事業として採択されることに。それを機に、彼はケイスリーのメンバーとして加わることになります。私には、彼の行動力や発想力、ネットワーク力がケイスリーを面白い方向へ連れて行ってくれるのではないかという期待がありました。

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(森山と私。創業後、沖縄にて)

社名の由来と、本店所在地(沖縄)

初対面の方には、社名に込めた想いは何ですか?どういう由来があるんですか?と必ずといっていいほど聞かれます。いろいろ推測いただくこともあり申し訳ないので、ここで公開します。

「ケイスリー」というのは、幸地経営研究所=Kochi Keiei Kenkyuzyo の頭文字をとったものです。これは、起業前に沖縄でSIBセミナーを開催したとき、一緒に来ていた仲間(SIB推進チーム)の一人が冗談で口にしたもので、その時は私も真に受けてはいませんでした。

その後、起業すると決めてから、社名にずっと悩んでいました。新しい会社で仕事の契約を結ぶには、今日、登記関係書類を郵送しなければ間に合わない!という日になってもまだ決まりません。そして、時間切れになるギリギリのところで先の冗談が脳裏をよぎり、「えいや」とそのまま届け出た、というわけです。

後に、アメリカのKKK(クー・クラックス・クラン)や、日本では3K(きつい、汚い、危険)など別の意味に誤解される可能性があることに気づきましたが、手遅れでした。いまだに度々、社内で社名変更の話が持ち上がりますが、変わらずに今に至っています。

そして本店所在地は「沖縄」としました。当時は東京在住でしたが、「いつかは、故郷の沖縄のために」という想いを持っていましたし、もともと行政コンサルタントになったのも、それであれば沖縄に貢献できるのでは、と考えてのことでした。だから、いずれは沖縄のために働こう、それまでは「ふるさと納税」するような気持ちで、そう届け出たのでした。

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こうして私はSIBと出会ったときには考えてもいなかった独立・起業という道を選択し、そこから代表としての道を歩み始めます。次回は、創業5年が経過した今、その間に起きた大事な出来事について、お話をしたいと思います。

(話:ケイスリー幸地正樹、文:ケイスリー今尾江美子)






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