僕は、「愛のある発信」で、ファンを増やしていきたい。数字や売上だけの日々は嫌だ。
こんにちは!
情報発信パートナー、高原です。
経営者のブログ・SNSでファン作りをサポートしています。
(個人のブランディング支援みたいなイメージです。)
さて、「生き残るための真理」みたいなことで、思うままに書いてみます。
僕のメインフィールドはネットでの情報発信なので、もちろんSNSの使い方を主軸に話しますが…
たぶん、ネットに限らず、家族や、社会の中など…
すべての場面で、豊かに生きるために必要なことじゃないかと思う話です。
■ネット上にあふれる「承認欲求」から、見える事
今に始まったことではないですが…
ネット上のコメントやTweetの中には、残念なものがたくさん存在します。
自分と無関係な人を叩きまくったり、自分は棚に上げて、人のミスやチャレンジを攻撃しまくったり…。
それらの多くは承認欲求によるものです。
では、なぜ承認して欲しいのか。
その点について自分なりに、考えている答えがあります。
■生存のため、集団から「愛してもらいたい」
承認欲求というのは、その奥に「生き残るために、自分の群れのメンバーから、愛してもらわないといけない」という心理だと思っています。
(あくまで僕の個人的意見です。エビデンスはないです。)
「群れ」の中で助けてもらえるのは、
「あいつがピンチだ!ゼッテー救うぞ!」と、みんなに思ってもらえる奴です。
なので、日々の暮らしのなかで、自分が愛されている実感みたいなものが少ないと、承認欲求は発生するのだと思っています。
要は、愛されていないと「ピンチのときに誰からも助けてもらえねーぞ」「ヤバイヨ、ヤバイヨ〜」と思っているじゃないかなと。
■では「愛される」のはどんな奴なのか。
生き残るために、「愛されないと!」という本能が働いているわけですが…
じゃあ、どんな奴が、群れから愛してもらえるのか。
それは「他人を愛せるやつ」だと思います。
なぜかというと、
相手にも同じ生存本能があるから。
つまり、相手も愛されたい。
だから、自分を愛してくれる人に、愛着を感じる。
という当たり前ちゃ、当たり前の話です。
■では「他人を愛せる」のはどんな奴か。
ここまでをまとめると…
自分が愛されるためには、「他人を愛せる人間である必要がある」わけです。
じゃあ、他人を愛せる人間ってどんな人なんだろう…と考えました。
僕なりの結論は、「たくさんの人に、愛されている奴」だと思います。
無限ループ感がプンプン臭っていますが、たぶん心理なんじゃないかなと。
■子供は『〇〇ちゃん、大好きだよ』をたくさん言われると、成長する
僕も2歳の息子がいるので、日々、育児には四苦八苦しています。
風呂上がりに服を着せるだけで、ブチギレてトミカを、部屋中に放り投げる息子(かっちゃん)を見て…
「な〜〜〜んでこのクソガキは、言うこときかね〜んダァァアァ!!!???グオオオオォォォオオォォォオオ!!!!」
となったりしています。
(まあ、誰の言うことも聞かない所は、ボクにそっくりなのですが。)
(お互い、我が道を行こうぜ。息子よ。)
(別の場所に、着きそうだけど。)
なので、色々と調べたり、幼児教室的なところの先生に、「ぼ…ボ…ボクはいったいどうすれば良いんですかぁぁアアァアァ〜」と、泣きついたりするのです。
いろいろな所で言われるのは、子供が「自分は、愛されている」と感じる言葉を沢山かけてあげると良いう事。
具体的には、「ママの大事な〇〇ちゃん…」とか、「大好きだよ…」とかです。
しかも、何か上手く行った時じゃなく、平常時に伝える事が大切なのだとか。
なにかが上手く行った時にしか言わないと、「成功しないと、愛してもらえないんだ…」という、変な解釈をしてしまうから、だそうです。
なにもない時に、愛していると伝えてもらうことで、「自分は、ありのままに存在していていいんだ!」という自己承認の気持ちが生まれるのだそうです。
■余裕があるから、他人に手を差し伸べられる
この辺りの話をまとめると、
たぶん、愛されるためには、愛する力が必要で…
他人を愛せるのは、「自分が愛されている」という心の余裕がある人間だと思うのです。
そして、その人の愛に触れた人は、他の人を愛することができる…という好循環が生まれていくわけです。
■情報発信の本質も、そこにあるのではなかろうか
僕の仕事は、ブログやSNSを活用して、クライアント様のファンを増やすことです。
なので、最後は「情報発信に活かせる学びは何か」という視点になるのですが…
結論は発信でも、「他人に愛をほどこせる奴が、豊かになる」という事だと思います。
売りたい、稼ぎたい、フォロワー数を増やしたい、いいねが欲しい…
数字や、お金に支配されると、「承認欲求に支配された人たち」と同じような行動をとる羽目になっていきます。
インプレッション(露出)を増やすために、誰かを叩きまくったり。
ちょっと失敗した誰かに、自分が善悪の決定を下す、閻魔大王かのように、攻撃しまくったり。
そこまで極端なことはしないにしても、自分の利益しか考えていない発信には、本当のファンは付きません。
なぜなら、「相手も愛されたい人間」だからです。
基本中の基本は、「愛を持って、相手にギブする」という「精神」だと思います。
そのベースがあるから、
「この発信は、反応がよかったな」
「じゃあ俺の愛が、上手く伝わった証拠だな」
といった、データの分析に意味が出てくる
まずは、自分が大事に思える相手、深く愛することが出来る相手を、発信のペルソナにすることが、大事になってくると思います。
■結局なにが言いたいかと言うと…
こんな聖人君子っぽい事を語っているのですが、
朝から、マンションの前で、愛犬(せんきち)の糞を拾いながら、思いついた話をしているわけです。
言いたいのは、そんな理想を語りつつ、せんきちのウンコをポケットに入れたまま、オフィスまで来ちゃったと言うことです。