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愛の反対は

『好きの反対は、嫌いではなく無関心』。
これは間違いで、正確には、
『好き』ではなく、『愛』だそうです。
あと、『嫌い』ではなく『憎しみ』。

実際はどうなんかなーって思うけど、
好きとか嫌いにはベクトルがあるけど、無関心にはベクトルが無いことを思うと、場合によってはどちらも正解なんかなって思います。

こないだ、大阪府下の児童養護施設が集まって、小学生のフットサル大会がありました。参加した子どもたちも、一緒に引率してくれた後輩職員も、よく頑張ってくれました。
その後、打ち上げとしてその後輩と飲みに行ったんですけど、フットサル大会の話から色々と飛んで、職場の愚痴が溢れまくってました。

その1つに、というかほとんどがここに通ずると思うんですけど、職場が職員を大切にしていないということがありました。
年間を通してフットサルの練習も、良く言えば僕のやりたいようにやらせてもらっていましたが、悪く言えば放置されていました。

僕がやることに、「もっとこうしなさい」という意見や指示がまるで無く、もし言われたとしても施設の方針ではなく個人の見解や感想で、本当に施設として無関心なんだなと感じました。
嫌いだからという理由でなんやかんや言われたら、それはそれで腹は立ちますが、そこに施設の理念という大義名分があれば納得できます。

子どもに関わる施設職員として、施設内で他の誰かがやることに対して無関心というのは、一番あってはいけない姿勢だと思います。

『愛ゆえに人は苦しまねばならぬ』。

でも、愛が無いから苦しくなんてない。

それが一番苦しいです。

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