診断を受けるきっかけ
子どもの頃から違和感はずっとあったなぁと認識はしてる
何が違うかはわからないけど、周りとうまくやれない
幼稚園でもう違うなって思ってた
そこにもうひとつ大きな違いと認識に加わるのは身体の大きさ。
卒園式、入学式、折に触れて撮影される集合写真は一人だけ頭ひとつ大きいわたし。
身体も大きい、まわりのお友達と仲良くできない。
子どもながらに小さな違和感として覚えてる
一番最初に逃げ込んだのが光GENJI
テレビにうつるキラキラしたお兄さんたちはとにかく理由もなく大好きだった
ウチの家族は『この子はミーハーで面食いだ』で片付けてわたしがアイドルにのめりこむ経過をずっと見ていた
結果母はわたしの好きなアイドルを一緒に覚えてくれた
小学生、中学生、どんどん周りとトラブルが増えていく
家族は『末っ子だから甘やかしすぎたなぁ』
周りは『あいつほんと頭おかしい』
わたしは何がおかしいかわからない、
唯一わかるのは『あぁ、浮いている、なんでかな』
そんなこんなでまともな社会人になんぞなれるわけがなく
フリーターに落ち着きました。
家族にとってなんとか最低限の安心要素が『社保完備』で働いてること。そこだけでなんとか見守ってもらってます。
フリーターになってすぐかな。
『お前、社会適応力ないよ、社会不適合者だよ』
わたしとはまるで頭の作りが違う兄に言われたの。
今考えると酷い暴言だけど、当たってたからなんも言い返せない笑
それからずっと『あたしはずっとフリーターなんだな』って諦めた
それからも続く転々と職を変え続ける日々。
どうしたら定職につけるかな。
30過ぎてようやく長続きするバイト先を見つけて、そこにある日《発達障害の障害者雇用》の青年が入ってきた。
その青年の指導者が元上司。
彼への対応を色々相談してるうちに色々と自分で噛み合い始めた。
そこで自分で調べたのを元に上司に相談した。
『自分も彼と同じだと思う』
そこでの返答は
『彼らは自分で自分が発達障害者であると気がつくことはとても難しい、だからあなたは違うと思う、自分で何か違うってわかるから』
そうは言われても納得できない。
月イチで睡眠導入剤を貰うために通っていた精神科で相談した。
『大人の発達障害の検査が受けたいです』
先生も納得してなさそう。でも紹介状を書いて検査を受けられるようにしてくれた。
そこでようやく検査までこじつけた。
これでわたしは楽になれるかもしれない。
少し明るい未来が見えた気がした。
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