カイジファイナルゲームが"カイジ"してなかったことについて まえがき編
※映画と漫画両方のネタバレを含みます。
初めましてk#(けーしゃーぷ)と申します。まず、ネットで掲載するために文章を書くのは初めてなので何卒ご容赦を。そしてあくまでも「個人的見解」であることをご留意お願いします。
カイジファイナルゲームを観てきました。映画に対する感想は「これカイジ?」でした。ゲームの設定がガバガバだったり、人間関係が友情やら家族愛やらで構成されてたり。僕らが観たい"カイジ"がそこにはありませんでした。(そもそも世界観の作り込みが甘かったり物理法則が適用されてなかったりと"カイジ"以前のツッコミどころもありましたが後述)。「じゃあ一体どの辺が"カイジ"してなかったの?」という部分をゲームごとにツッコむことで紐解くのがこのnoteの目的です。
まずゲームごとに突っ込む前に、「どの辺が"カイジ"してなかったか」を説明するために「そもそも"カイジ"らしさって何?」という部分を解決したいとおもいます。これがまえがきです。
"カイジ"を構成する要素は主に①ゲームの面白さ②人間関係だと考えます。
まず①の説明。"カイジ"で行われるゲームの大まかな流れは・ルールを隅々まで把握し穴をつく→必勝法を考え出し綿密な工作をして勝負に臨む→相手に更に裏をかかれるor運が相手に味方するがそれを度胸と閃きで乗り切る、という風になっています。原作でいうと限定ジャンケン編や沼編が良い例ですね。この「ルールの穴をつく快感」や「緊迫する巧妙な心理戦」だったり「劣勢から大逆転する興奮」などが"カイジ"の面白さに直結していると思います。
そして②の説明。カイジの世界には「人は利害関係で動く」という前提があります。カイジの世界では「利益があるから組む」「被害を被ったから縁を切る/破滅させる」というルールが基本となっています。前者はカイジとその周りの人間、後者は兵藤会長の行いを鑑みれば納得していただけるかと思います。このシビア且つ単純な関係がゲームを攻略する上でキーとなります。
ゲームそのものと駆け引き両方の面白さと、深くて浅い人間関係こそが"カイジ"の面白さをよりわかりやすく、より深くするエッセンスだと考えられます。これら2点が"カイジ"らしさだということを念頭に置いて、映画で行われるゲーム(バベルの塔、最後の審判、ドリームジャンプ、ゴールドじゃんけん)と照らし合わせてみます。
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