文章をうまく滑ってメッセージを伝える
僕は最近、村上春樹先生の本を読んでいる。エッセイ本と短編集。どちらも気軽(文量も内容も)に読めるのでとても気に入っている。そんないわば『ちゃんとした』文に触れていくことで、僕は文章についてより考えるようになった。
元はといえば、noteでもっと上手な文章を描けるようになりたい。この一心で図書館に向かい、あっそういえば村上春樹という小説家がいて一度読んでみたいんだよなあとそのエッセイ本と短編集を手に取ったことからはじまる。
大学生の僕が文を読むといえば、SNSの誰かのつぶやきや知らない人の書いたブログ記事。そしてnote。よくよく考えてみれば、ちゃんと添削されている物を読むことは少ない。
そんな中、本は(自信はないが多分)添削がしっかりされていて、実際読んでいてもステレスがほとんどない。勉強になるようなことも多くあった。
こうして今、文章を自分で書いていると、なんとなくそんな気がする。
視点
僕が文書を書いていて一番わからないのが、読み手を想像すること。
どんな口調でどんな人で、なんでこの文章を読んでいるのだと、
そんなことを考え出すと一体どんな内容なら喜んでくれるのかよくわからなくなってしまい、しまいには、「あれ、なんで文字書いてるんだっけ」ともう訳がわからなくなる。
この読み手を想像することに対して、考え出した理由には「文体」がある。
例えば、
と、
の違いのようなもので、例えば、どこかの団体を代表するようなサイトの文章を書くのであれば敬語をつかって、わかりやすく書いて・・とわかるのだけど、このような個人で好き勝手書いているnoteになると、ここがすごく迷う。
例えばこの連載記事でも文体が大きく異なっている。
②では〇〇でした。とか、〇〇のように思います。と言った書き方で、
③では〇〇だ。〇〇と思う。という書き方。
僕の中では、人に見られることに重きを置いて書く書き方と、
自分の記録、思ったことを好きに書いている書き方というふうにそれぞれ感じている。
今は特に意識はしていないのだけど、本を読んでいた影響もあってか、そちらかというと後者の書き方。
今は「書き方」が曖昧だけど、徐々にエッセイのようなもうちょっと柔らかい、けれど後者よりな書き方に近づけていきたいと思っている。