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【第7弾】K-Project統括・元水球部の山本真那大さんにインタビュー

こんにちは!慶早戦デジタル企画委員会(K-Project)と申します。

今回は、インタビュー企画の第4回目の投稿になります。

インタビュー企画についての企画説明

K-Project出身で様々な経歴を持つOB・OGへ質問をすることでスポーツの魅力やK-Projectの全貌を明らかにしていく。これがOB・OGインタビュー企画の趣旨です。

インタビュアー

ミヤクボと申します。慶應義塾大学商学部1年。K-Projectに所属し,このOB・OGへのインタビューを企画。精一杯インタビューしますのでよろしくお願いいたします。

第7回目のインタビュー、本日のゲストは山本真那大(やまもとまなと)さんです。※サムネイル画像の左の方が山本さんになります。


山本さんの経歴

ミヤクボ「インタビュアーのミヤクボです。よろしくお願いします。」
山本「山本真那大(やまもとまなと)と申します。2002年生まれで、現在22歳です。生後2ヶ月で親の仕事の都合によりアメリカに移住し、高校卒業までアメリカで過ごしました。大学進学を機に日本に戻り、慶應義塾大学経済学部のPEARLプログラムで入学しました。大学ではK-Projectのほか、体育会水球部に所属し、ゼミナール委員会の広報担当も務めていました。今年の春からブルームバーグに入社予定です。」
ミヤクボ「よろしくお願いします。PEARLプログラムについて、新入生向けに簡単に紹介していただけますか?」
山本「PEARLプログラムは、経済学部のカリキュラムを完全に英語で学ぶプログラムです。教授の講義も論文もすべて英語で、卒業論文も英語で執筆します。入試プロセスは日本のセンター試験とは異なり、志望動機のエッセイ(約5ページ)、TOEFLやSATのスコアを提出し、総合評価で選考されます。」
ミヤクボ「ありがとうございます。入学の時期や年齢の仕組みについても教えてください。」
山本「アメリカの学年システムに合わせており、9月に入学し、9月に卒業します。僕は2024年9月卒業ですが、同じ学年で4月卒業の同期もいます。体育会ではその影響で学年のずれが生じることもあります。」


水球部でのご様子 左の写真が山本さん。

ミヤクボ「K-Projectに入ったきっかけを教えてください。」
山本「2019年の夏に日本に一時帰国した際、水泳の慶早戦を観戦する機会がありました。会場に入った瞬間、応援指導部や部員、家族、友人などが一体となって応援する光景に衝撃を受けました。アメリカのスポーツイベント、特にアメフトや野球は満席のイメージが強いですが、僕が高校で水球をやっていた頃は観客席がガラガラで、親世代の人しか見に来ていませんでした。水球という競技でこんなに多くの人が応援する姿に感動し、『自分もこの舞台に立ちたい』と思いました。

その後、慶應水球部の練習を見学し、先輩方が慶應の良さを熱心に説明してくれました。練習後には食事にも誘ってくれて、温かく迎え入れてくれる雰囲気に感動しました。そのとき憧れた先輩がK-Projectに所属しており、『一緒にやってみないか』と誘われたのが、K-Projectに入るきっかけです。」

ミヤクボ「その先輩とはどなたですか?」
山本「日高すばるさんです。当時、SNS担当やマンスリーミーティングを担当していました。ただ、最近はあまり来ていないかもしれません。僕の1つ上の先輩で、すごくエネルギッシュな方です。」

ミヤクボ「スカウトされた形だったのでしょうか?」
山本「正確には覚えていませんが、『この日に説明会があるから来て』と言われ、当時はコロナ禍だったのでZoomで参加しました。説明を聞いてみると楽しそうで、スポーツが好きだったこともあり、ノリで『やってみよう』と思い参加しました。」

ミヤクボ「K-Projectにはいつ頃参加されたんですか?」
山本「大学入学が9月で、K-Projectにはその翌月の10月に入りました。ほぼ入学と同時に、『一緒に盛り上げよう』と誘われて入りました。」

ミヤクボ「当初のK-Projectの印象はどうでしたか?」
山本「アメリカに長く住んでいたので、日本の文化に触れる機会が少なかったのですが、K-Projectでは1つのことに熱中する人が多く、その熱量に圧倒されました。オンラインの説明会でも、ミッション・ビジョン・バリューを語る先輩の目の輝きが印象的で、活動内容よりもその熱意に惹かれたのを覚えています。」

ミヤクボ「厳さんが、山本さんは仕事ができすぎて、同時に6つのPTsのリーダーを担当していたと言っていました。その辺について詳しく聞かせてください。」

山本「K-Projectに入ってすぐ、最初にバレーボールのPTsに配属されました。そこで厳ちゃんとも仲良くなり、『これもやってみない?』と次々に声をかけられました。『やります!』と答えているうちに、気づけば6つのPTsのリーダーを担当していました。新入生がこんなに任されていいのかとも思いましたが、スポーツを盛り上げたいという気持ちで、ノリのままやり続けました。その結果、常時2〜3個のPTsを同時進行で担当する日々が続きました。」

ミヤクボ「かなりハードワークだったのでは?」
山本「本当に週8でミーティングが入っていました。6時〜9時の練習後、10時〜12時までミーティング、その後さらにフィードバックのミーティングをすることもありました。今考えるとかなりブラックでしたね。」

ミヤクボ「その経験から得たことはありますか?」
山本「スケジュール管理能力が大幅に向上しました。例えば、各PTsの申請期限や投稿スケジュールの管理、バレーボールのエリアジャックの立て看板チェックなど、すべてを把握しながら動く必要がありました。
さらに、日本語のスキルも向上しました。もともと日本語学校に通っておらず、ミーティングを通じて実践的に日本語を学んでいました。1年生でありながら、3・4年生のマネージャーや選手と話す機会が多く、準備しながらバタバタと進める日々でしたが、すごく貴重な経験になりました。」


バレーボールの立て看板の様子

ミヤクボ「山田さんのフィードバックについて気になるんですが、ミーティングの中でリーダーとしての立ち振る舞いについて指摘を受ける形なんですか?」
山本「そうだね。『PTsの振り返り』みたいな感じかな。『今日のPTs共有』っていうLINEグループがあって、そこに僕、山田莉奈さん、健吾くんの3人が入ってるんだ。毎日、今後どうしていくかを話し合うし、終わったPTsの改善点を振り返ることもある。もちろん、ほかのメンバーに対してどう振る舞うべきかって話もしていたし、ミーティングの流れやリーダーシップの取り方など、1から全部教えてくれた先輩が山田莉奈さんだったね。

ミヤクボ「それは1年生の頃からですか?」
山本「1年生から2年生にかけてずっとだね。莉奈さんも就活で忙しかったけど、僕たちの質問には毎回長文で返してくれて、すごく親身になってくれた。よく『僕たちは一生の戦友だね』って話してたよ。」
ミヤクボ「素敵ですね!」

山本「僕をK-Projectに誘ってくれた水泳部の先輩もそうだけど、みんなエネルギーと情熱がすごいんだよね。とうきさんや古田京さん玉川さんもそうで、全員が圧倒的な熱量で取り組んでる。その環境にいると、自分も自然と引っ張られて成長できるんだ。」

山本さんが語るK-Projectの魅力


ミヤクボ「K-Projectの魅力が伝わってきますね。改めて、K-Projectの魅力って何だと思いますか?」
山本「いろんな人との繋がりの強さが一番の魅力だと思う。K-Projectの価値のひとつに『縦横斜めの繋がり』っていうのがあるんだけど、それが想像以上に強いんだよね。
体育会の人たち——たとえばバレーボールやバスケの選手とも繋がれるし、応援指導部の人たちとも関わることができる。さらに体育会に関係ない人、たとえば君みたいな一般の学生とも関われる。
水泳部に所属してるだけでは絶対に出会えなかった人たちと巡り合えて、一生の戦友ができる。玉川さんもインタビューで言ってたけど、『一生の仲間ができる』っていうのがK-Projectの大きな魅力だと思う。」

ミヤクボ「他のサークルとは違うんですね。」
山本「うん。たいていは連絡を取らなくなることが多い。でもK-Projectは違う。体育会とも違うけど、それに近い感覚があるんだ。体育会では、辛い練習を乗り越えた仲間とは強い絆が生まれる。僕にとって水泳部の仲間は、ただの友達じゃなくて“戦友”なんだよね。K-Projectもそれと同じで、みんなが同じ熱量でひとつの目標に向かっているからこそ、強い絆が生まれるんだ。」


山本さんの水球部の仲間たち


K-Projectでの思い出

ミヤクボ「何か印象的な思い出はありますか?」
山本「K-Projectのオフィシャルパーカーを作ったことかな。リナさんや健吾くんと深く関わるようになったきっかけでもある。
慶早戦のPTsは、ミーティングを重ねて形にはなるけど、目に見える形で長く残るものではない。でも、パーカーは違う。デザインコンテストをやって、実際に生地を選んで、生協と何度もミーティングをして、最終的に販売された。
キャンパスで誰かがそのパーカーを着てるのを見かけると、『やってよかったな』って思うし、卒業後に慶早戦を見に行っても、それを着てる人がいたりする。形として長く残るのがすごく嬉しいんだよね。ちょっと売れ残っちゃったけど(笑)。」

ミヤクボ「デザインは学生から募集してたんですか?」
山本「そう。『こういうパーカーを作ります!デザイン募集します!』って告知して、学生からアイデアを募った。それをもとに最終デザインを決めて、健吾くんがカメラを持ってきて写真を撮ったりして、プロモーションも工夫した。」

ミヤクボ「そういうところでも繋がりが生まれるんですね。」
山本「本当にそう。僕自身はすごく人見知りだし、初対面の人とすぐに仲良くなれるタイプじゃない。でもK-Projectに入ったおかげで、普段だったら絶対に関わることのない人たちと繋がれた。たとえば、ミスター・ミスコンに出るような有名な人とも知り合えたし、応援指導部の人気者とか、内部でフォロワーが多い人たちとも繋がることができた。」

ミヤクボ「そういう人たちにはどうやってアプローチするんですか?」
山本「直接声をかけることもあるし、ミス・ミスターコンに出場してる人に連絡を取ることもある。あとは、応援指導部で目立ってる人や、K-Proの内部で影響力がある人にもアプローチすることが多いね。」


オフィシャルパーカーの様子(画像左が山本さん)

ミヤクボ「K-Projectにはどんな人に入ってほしいですか?
山本「キャッチコピー的に言うと、『にわかでもスポーツが好きな人』かな。
僕自身もにわかなんだよね。水泳をやってはいたけど、戦略や技術を学ぶためにプロリーグを見ることはあっても、特定のチームをずっと追いかけるタイプじゃなかった。でも、K-ProjectのPTsにいると、いろんなスポーツに触れる機会がある。サッカー、野球、ラグビー、バスケはもちろん、フェンシングや柔道、重量挙げなんかにも興味を持つようになった。
試合を見て、『この競技ってこういうルールなんだ』とか『こういうところが面白い』って知れるのが楽しいし、オリンピックとかでその競技をやってたら、自然と詳しくなってる自分がいる。にわかでも十分楽しめる環境なんだ。」

ミヤクボ「確かに、スポーツの見方が変わりそうですね。」
山本「うん。さらに、PTsを通じていろんな人と関わることで、慶早戦を応援し、支援しながら、選手とも繋がりができる。試合に勝ったら『おめでとう!』ってLINEが飛び交ったりするのも、すごく素敵な瞬間だと思う。」



学生へのメッセージ コンフォートゾーンからの脱却



ミヤクボ「今の現役学生に向けて、何かメッセージがあればお願いします。」
山本「そうだな…。少しでも興味を持ったことがあれば、思い切って挑戦してみてほしい。K-Projectもそうだけど、例えばボクシングって殴り合うだけのスポーツなのかなと思っていたけど、踏み込んでみるとすごく奥深い部分があったりする。人間関係でも、『この人面白そうだな』と思いながらもタイミングがなくて踏み込めず、後悔したこともある。
 今の時代はYouTubeやTikTok、Instagramなど誘惑がたくさんあるけど、そういうものに流されるのではなく、少しでも興味を持ったら思い切って挑戦してみることが大切だと思う。英語で言うと “Comfort Zone” っていうけど、自分の安全地帯から一歩踏み出して、新しいことに挑戦する気持ちが大事。ちょっと頑張って新しいことをやってみると、もっと世界が広がる。

 9月に卒業してから2月まで時間があったから、少しでも興味があることにどんどん挑戦してみた。これを大学1年生の頃からやっていたら、もっと多くのことができたんじゃないかなと思う。もちろん人生は長いから、これからも挑戦し続けたい。でも、もし大学生活を充実させたいなら、自分のコンフォートゾーンから抜け出して、いろんなことにチャレンジしてみるのが大事だと思う。
 そうすることで新しい出会いにも巡り合えるし、意外な自分の強みを発見することもあるかもしれない。だからこそ、ぜひコンフォートゾーンを抜け出してみてほしい。」
ミヤクボ「確かに最近は日本語でも『コンフォートゾーン』ってよく聞きますよね。」
山本「そうだね。コンフォートゾーンの中にいると、同じ環境で完結できるけど、ちょっと外に出てみることで新しい発見がある。少しでも興味があれば外に出てみるといいと思う。」

ミヤクボ「でも、抜け出すには結構勇気がいりますよね。それに、自分のコントロールが効かなくなるし、気づいたらYouTubeやTikTokを見すぎていた、みたいなこともよくある。」
山本「そうなんだよ。確かにそっちの方が楽だし、その瞬間は楽しい。でも、将来のことを考えたら、コンフォートゾーンから抜け出す意識を持つことで、より有意義な大学生活になると思う。その第一歩として、プロジェクトに参加するのはすごくいい選択肢だと思う。」

ミヤクボ「なるほど。では、山本さん自身がコンフォートゾーンを抜け出した経験ってありますか?
山本「そうだな…。僕にとって、日本の大学に進学すること自体がコンフォートゾーンを抜け出すことだった。高校時代はアメリカの大学、それも看護学部に進学するつもりだった。でも、アメリカの大学で水球を続けると、将来的に体育教師など収入がそこまで高くない職種にしかつけないと知った。そこで、突然『日本の大学』という選択肢が浮かんで(笑)。

 それまではシリコンバレーに18年間住んで、ほとんど同じ家にいた。でも、日本の大学なら文武両道を重視できるし、水球も最前線でやれる。思い切って日本に来て、伝統的な体育会の世界に飛び込み、同時にK-Projectのような新しいコミュニティにも入った。結果的に、日本の会社ではないけど、日本で就職することになった。そういう意味で、自分のルーツをたどる旅でもあったのかな。

 高校時代の友人はみんなスタンフォードやハーバードに進学したから、日本の大学に行くと伝えたときは驚かれたよ。友達もいない状態で日本に飛び込んだけど、結果的に素晴らしい出会いに恵まれた。水球部の先輩やK-Projectの師匠のような存在の人にも出会えて、本当に良かったと思ってる。」

ミヤクボ「確かに、ゼロから人脈を作るってすごいことですね。」
山本「そうだね。友達とはまた違うからね。日本語学校にも行ってなかったから、最初は名前を覚えるのも大変だったし、先輩にメッセージを送るときも敬語が分からなくて苦労した。でも、そうやって環境を変えて挑戦することで、たくさんの成長があったと思う。

ミヤクボ「なるほど。やっぱりコンフォートゾーンを抜け出すことって、大きな成長につながるんですね。」
山本「そうだね、大事。」
ミヤクボ「今日はありがとうございました!」
山本「ありがとう、また何かあったら連絡してね」


おわりに

第7回のインタビューでは、大学入学をきっかけにアメリカからはるばる来てK-Projectを盛り上げてくれた山本真那大さんからたくさんの貴重なお話をいただきました。

この場をお借りして、厳さんに改めてお礼申し上げます。大変面白いお話をいただきまして、誠にありがとうございました!

ここまで、ご覧いただきまして、ありがとうございました。

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