πにまつわるえとせとら
「円周率が3.05より大きい事を証明せよ」
これは、2003年に出題された、東大の入試問題です。
この当時、
「円周率をおよそ3とする」
という言葉とともに誤解が広まった、いわゆる「ゆとり教育」が始まった次の年でもあり、
「日本の最高学府からの問題提起だ」
と、これまた勝手な解釈で話題になりました。
●「円周率はおよそ3」の誤解
「ゆとり教育」とは、文部科学省がおそらく初めて、
日本で将来起こる「少子高齢化」に備えて、
それまで行われていた「詰め込み教育」を見直すための、
「小学校学習指導要領」の改訂
に取り組んだ成果でした。
しかし、日本の受験産業界からの反発があり、
またマスメディアがそれを取り上げてミスリードし、
さらに世間が面白がってそれに悪乗りし、
ある特定の世代が「ゆとり世代」として差別されるようになった
という、非常にひどい話に終わりました。
その後、学習指導要領がほぼ元に戻されることになったのですが、これが
「日本の教育改革が遅れた大きな原因である」
と言っても過言ではないと考えています。
日本の教育が、いつまでも
国際的に見て古いやり方に固執している
のは、教育行政というよりも、受験産業をはじめとした、
教育内容が変わると困る人達の抵抗
があるからだと思います。
今回の、新型コロナウィルス感染拡大防止ための休校に伴い、
学校ではカリキュラム消化のために休暇が設けられない
などの問題が起きていますが、この
「円周率はおよそ3」のネガティブキャンペーン
で教育改革を遅らせた当事者たちは、どう考えているのでしょうか。是非とも、どこかのメディアにインタビューをして頂きたいところです。
そもそも「円周率をおよそ3とする」というのが、どこからそういう話になったのかは不明です。正しくは、
手計算などの場合を考慮して「目的に応じて3を用いて処理」
というのがその意図でした。こんなこと、現場のエンジニアだって、
概算見積もりをする時などにいくらでもやっている事
です。というかむしろ、
どんな時でも「型通りに3.14を使って計算」
する方が、
場面に応じた使い分けができない柔軟性の無いやり方
と言えるでしょう。逆に、
電験(電気主任技術者試験)二種及び一種の二次試験
では、3.14でも不足なので、3.1416で計算します。
●東大の入試問題の背景
冒頭の、
「円周率が3.05より大きい事を証明せよ」
という問題についても、これまた悪乗りした世間の誤解がありました。
当時、スーパーコンピュータのベンチマークとして、
円周率がどれだけ多くの桁数を速く計算できるか
という事が競われていました。
この問題が出題される前の年である2002年、
NECの「ベクトルプロセッサ」を搭載した日本の「地球シミュレータ」が、
「TOP500」という世界のスパコンの性能を競うランキングで1位になった
という出来事がありました。そこから日本のスパコン開発が本格的に加速することになりました。
ところで、円周率の計算は、アルゴリズムにより値が収束する速度が全く異なるのです。そして、これまた2002年に、
「金田康正」先生という日本の計算機科学者が、
「高野喜久雄」先生という日本の数学者が考えた公式により、
日立製のスーパーコンピュータを用いて、
円周率の計算桁数「小数第1兆2411億」
という記録を残しました。
この円周率に関する東大の入試問題は、こんな背景があって出題されたのです。
全く、
何も知らない素人の思い込み
というのは恐ろしいものです。
●円周率の計算の検討
ちなみにこの解答としては、
正8角形以上の正多角形で
(外周)/(対角線)
を計算して
3.05より大きくなる事
を示すのが正解とされているそうです。
しかし、上の円周率計算の記録を残した金田先生が東大の名誉教授であることを考えると、この問題はいささか片手落ちのような感じもします。
どうせなら、
「円周率πの値について、+-3%以内の範囲を有効数字3桁で示せ。但し、sin(22.5°)=0.3827、tan(15°)=0.2679とする」
くらいの問題にしたらどうでしょうか。
「3.05より大きい」
というのは、円の中に正多角形を書いていって、
頂点の数を増やして円に近づける操作
を想定しているわけです(下図)。
例えば正四角形だったら、
一辺の長さ "a" で、外周が "4a"
となるのに対して、
円の「直径」にあたる「対角線」が "√2a"
なので、
4/√2=2.83
だとまだまだ足りない。
正六角形だったら、
一辺の長さ "a" で、外周が "6a"
となるのに対して、
対角線が "2a" なので、
6/2=3
でだんだん近づいてきた、という按配です。
結局のところは、「正八角形」の時点で
3.06よりちょっと大きい
となるのですが、これはちょっと計算が複雑です。やってみると、
正八角形の対角線を全部引くと、「二等辺三角形の組み合わせ」になっているのがわかります。
一つの二等辺三角形に着目すると、
二等辺に挟まれた頂点の角度が、
360°/8 = 45°
で、
二つの等辺は「対角線(直径)"d"」の半分の "d/2"
となっています。そして
底辺は「正八角形の一辺 "a"」
です(下図)。
今求めたいのは、対角に対する「外周率」
8a/d
ですが、さらに
二等辺三角形を頂点から2等分
すると、
(a/2)/(d/2) = sin{(360°/8)/2}
の関係から、
8sin(22.5°) = 3.06
と出てきます。
(まあsin22.5°を、試験会場でどう手計算するかはちょっと問題ですが。)
しかし、本当はここで終わっては、
「円周率が」3.05より大きい証明
にはなっていません。これは、
「正八角形」の対角線に対する「外周率」が、3.05より大きい事がわかった
だけです。正十角形、正十二角形、・・・とどんどん頂点が増えて行った時に、
外周率がどんどん増えていく事
も証明しなければ片手落ちです。
図形的には、例えばこの倍の「正十六角形」は、
三角形の公理(三角不等式)から、外周はもっと長くなる
というような説明でいいですが、大学の入試問題という事で、ここはちょっと高級な説明を試みましょう。
上の正八角形の計算で得られた
(a/2)/(d/2) = sin{(360°/8)/2}
の関係から、「正n角形の外周率」は、
n a/d=n sin(180°/n)
となる事がわかります。
そして、"n" を大きくしていった時に、
この数列が「単調増加」である(増えるのみで減ったりしない)事
を示せばよいわけです。これには関数
f(x) = x*sin(180°/x)
が、
n < x < +∞ (n≧3)
の範囲で単調増加である事を示せば十分
です。
試しにこの関数を微分してみると、
f'(x) = sin(180°/x) + x cos(180°/x)
となり、この式は、
与えられた範囲ですべて正
となっているので、「単調増加」である事がわかります。
さて、私が提案した問題ですが、
π が3.21より小さくなる事
を想定したのですが、これは
正n角形に円を内接
させて、
n a/d = n tan(180°/n)
として、「正十二角形」まで計算する事になります。そして、
この数列は「単調減少」
になります。
しかし、「範囲に収まる事」を示さなければならないので、単調に増加または減少する事だけでなく、さらに2つの数列
n a/d = n sin(180°/n)
n a/d' = n tan(180°/n)
が、
ともにある値に収束する事
も示さなければなりません。これは、ちょっと工夫して「ロピタルの定理」を使えば、これら2つが
n → +∞ で π に収束する事
がわかります。
これ以上長くなってもあれなので、ここまで読み進めて興味が沸いた方はぜひ考えてみて下さい。
ちなみに、「正多角形の外接円」を考えたときは
n = 8 で、もう
3.14の -3%以内の誤差
になるのに対し、「内接円」を考えると
n = 12 でやっと +3%以内
になります。という事は、
「外接円」の方が、π に収束する速度が速い事
が予想できます。
「円周率なんてスパコンを使えばいくらでも計算できるじゃないか」
と思う方もいると思いますが、スパコンに計算させる前に、
なるべく速く収束させるアルゴリズムを考える
という人間の作業が重要です。
●しかしなぜ "π" だけ?
ちなみに、円周率 "π" は数学的には「無理数」の中の「超越数」と言って、
「有理数」の係数を持つ「代数方程式」の解にならない
というものです。こういう数としては、「ネイピア数 "e"」もあります。
しかし、何故 "π" だけがこんなに取り沙汰されるのでしょうか。
それは、"e" が出てくるのは高校数学であり、
そこまで数学の内容についてこられている人が少ない
からだと考えられます。
「円周率をおよそ3とする」
なんかより、
小学校で習う円周率だけしか話題にならない事
の方が、よっぽど日本の教育の根本的な問題を象徴しているという感じがしてなりません。
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