科学的根拠こそ人類の希望である
お偉いさんが現場の状況を無視して決めごとを作り、現場ではそれが使えないから無視されるっていうのは、よく聞く話ですね。もう組織である意味が無いので、やめたらどうかと思いますが。
しかし、組織に属することで収入が保証されたり、研究や成果発表の場が与えられたりするので、やむ無く従っているという事情もあるわけです。それって、組織の目的のためには足かせでしかなく、結局組織にとっても個人にとっても不幸でしかないですよね。
あ、あくまで科学技術の発展の歴史についてであって、私の事とは一切関係が無いですよ、ええ。
さて、1860年にやっと「物質の分子論」が科学界で公に認められたわけです。前回の記事は、
しかし気体の粒子説は、原子論や分子論とはまた別のルートで研究されていました。それは、ニュートンが気体を微粒子であるとして、気体中の運動に対する抵抗を論じたことに始まります。
ニュートンは、実は「光の粒子説」もすでに打ち出していました。しかし、それはホイヘンスの「波動説」に負けてしまい、アインシュタインの「光量子説」までお預けとなります。
1738年、ダニエル・ベルヌーイも、「ボイルの法則」を気体が微粒子である事から説明しようとしていました。これは、彼の著書「水力学(hydrodynamica)」に書かれています。(「流体力学」という言葉はここに始まります。)
この著書の中で、有名な「ベルヌーイの定理」が紹介されています。これは、理想流体の定常流において、一本の仮想的な流管を考え、その中で
(1/2)ρv^2 + ρgh + P = const.
が成り立つというものです。
これは流体の単位体積あたりについて、
(運動エネルギ)+(ポテンシャルエネルギ)+(仕事)=(一定)
ということを述べたものであると考える事ができます。つまり、彼は「エネルギー保存則」の定式化への基礎を築いたと言えます。
気体の粒子説の方は、彼はこの本の中でなんと、
PV = (1/3)Nm<v^2>
(N:粒子の個数、m:粒子の質量、<v^2>:平均二乗速度)
を導いています。これは、"v"が一定であれば「ボイルの法則」になります。しかし、これが他の科学者達に理解されたのは、それから一世紀以上経ってからでした。
分子論がカニッツァーロによって再提出された1860年、ジェームズ・マクスウェルが「マクスウェルの速度分布則」を導きました(下図)。
これは、ある温度における気体中に、
どれくらいの速度の分子がどれほどあるか
という分布を示したものです。このマクスウェルの論文に、ウィーンの少年ルードヴィッヒ・ボルツマンがその虜になり、「統計力学」を築いてゆく事になりました。
つまり、気体に関する工学的研究では、ほぼほぼ物質の分子論というのは現場の常識であり、実験による事実の積み重ねから、それを認めざるを得なかった状況が生まれていったというのが、実情であるように思えます。
仮に、キリスト教の制約を受けずに、物質の分子論が早くから公に認められていたら、当時の優秀な科学者の能力は、もっと有意義な研究に注げていたかもしれません。しかし、私はこの
事実と誠実に向き合って、地道にその結果を積み重ねていった結果、強大な権力によって、多くの人が持っていた誤った常識を覆した
という歴史に、人類の希望を感じるのです。
物事の正しさは政治的または宗教的思想や精神論からではなく、科学により理解されるという事は、科学技術に関わる人たちが持つべき誇りであり、また自戒のための教訓でもあります。
次回からは、熱力学に話を戻し、「エネルギ」について見ていきたいと思います。