OLポテサラ日記⑩
あったはずのものがなくなることと同じくらい、あると思ってなかったものが突然現れることもまた、同じように焦るんだなー。月曜日の朝、起きたら冷蔵庫にじゃがいもがあった。
話を週末に戻します。日曜日、その日は京都に住んでいる友だちと会う約束がありました。私が気になっていたイベントにも一緒に来てくれて、その会場を出るとき、思わぬ光景が目に飛び込んできました。
じゃがいもが100円で売られていたのです。しかも4個入り1袋が100円。日記③で浮かれて買ったご奉仕品じゃがいもは1個58円(税込62.64円)、それで喜んでいた私にとって、100÷4円は見逃せないことでした。
黒板を前に明らかお店の入り口を塞いだ状態で立ち尽くしていたのだと思うが(じゃがいもに夢中で本当すみません)、お店の人が「わ、見つけてくださいましたか」と声をかけてくれました。え、見える人には見えるみたいな感じですか。とは言えなかったけど、「あ…見つけちゃいました…」と続けて、なんでこんなに安いのかを聞きました。
どうやら、規格外野菜とかではなく、出荷量と売れ行き予測で廃棄が決まってしまう野菜というものがあるらしいです。しかも、それは出荷されるときには決まっていて、最初から安い値段で売られる。旬の野菜(出荷量が多い)は安くなる、と近いのかは分からないけど、「食品ロス野菜」と呼ばれる野菜だそうです。規格内なのに売れ残ることが分かっていて最初から値打ちを下げられてしまう野菜。そんな野菜があることをこのとき初めて知りました。
「なのでどれもちゃんと美味しいんですよ」の言葉に背中を押され、私はじゃがいもとトマトを連れて帰ることにしました。
見える・見えない、気づく・気づかない、そのことで思い出したのが、会社の先輩が話していた量子力学のことです。うまく説明できるか不安ですが、人も含めて世の中の物質は「素粒子」という小さな単位でできていて、その素粒子の集合が人や物。そしてそれらはそれぞれ波動(周波数のようなもの?)を持っていて、その周波数が近いもの同士に反応しやすい、ということでした。ちょっと自信ないのでまた先輩に確認します。
例えば、同じ場所にいたとしても、同じ出来事を経験したとしても、人によって見えるものや感じるものが違う。それはその人が持っている周波数が違うから、ということです。たしかに、同じ道を歩きながら「あれ見た?」と言われて全然気づいてなかったときもあれば、人と話しているのに周りの雑談のほうに気をとられて目の前の人の話が入ってこないときもある。それは私の注意力の問題か。
このことを踏まえると、私とじゃがいもたちの周波数は近いものがあった、ということになります。え。いやこの論を深めるのはもっと違う例のときにしようかな。1回先輩に聞きます。
話を冒頭に戻すと、私の冷蔵庫には現在じゃがいもが4つある。廃棄から救ったつもりで連れて帰ったこの子たちを、このままでは結局私が廃棄してしまうことになる。それはなんだか違う。
人生、なるようにできているのかもしれない。ポテトサラダを作る環境は限りなく整った。あとは私のやる気、それだけが問題だ。
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