暴力を受けて育った人は心が壊れているので、生きる事に過剰なストレスがかかる
暴力を受けて育った人は心が壊れているので、生きる事に過剰なストレスがかかる。
そのストレスを発散する為に自分自身も暴力を振るわずにはいられない。
その暴力は自分に向けられるものと他者に向けられるものがある。
自分に向けられるものは、自傷行為として働く。
他者に向けられるものは、自分が暴力を行使できる立場の時に、他者に暴力を行使する。
または、他者に暴力を行使できる状況を自ら作り出す。
『私たちの世代は躾のために暴力を振るうのが当たり前だった。今の世代はそれさえも許されない。だからダメなんだ。』
という言葉の裏には三つの意味が隠蔽されている。
①(正当性によって)自分も暴力を振るわれてきたのだから、(正当性によって)自分も他者に暴力を振るっても良い。
世間から暴力を排除したら私が他者に暴力を振るえなくなる。
②物事は暴力によって成り立っており、それを抜いたら物事は成立しなくなる。
私は暴力でしかコミュニケーションができません。
③暴力で育った私はまともな人間であり、まともな社会人であり、そのまともな人達で作り上げた現代日本は、まともな社会なのだ。
という三つ。
①は、他者を支配するのが前提にあり、個人の尊厳を無視した暴力であり、正当性により"隠蔽された"暴力である。
正当性により隠蔽された暴力は"態度"によっても他者を支配する事ができる。
よってこの正当性は不当である。
②は、人間の暴力によらないコミュニケーションや創造性を認められず、人間不信である様を表している。
③は、現代日本は暴力によって形成されているという恐ろしい事実が露呈している。
これらは、現代日本社会の人々がコミュニケーション障害に陥っている事を表している。
もちろん、現代日本社会を本当の意味で支えているのは、人々の暴力によらないコミュニケーションと創造性であるが、その殆どは表舞台に出ることはなく、日本社会の暴力性により隠蔽されている。