良いリズム、グルーヴとは
良いリズム、グルーヴとは何か
良いリズム、グルーヴとは何か、という問いを自らに投げかけてみます。
私が思う良いリズム、グルーヴとはなにか。
良いリズムというのは、自分の中から湧き出る躍動感が、楽器を伝って外に表現される事だと考えています。
楽器を使って自らの躍動感を表現しますが、表現する時に、私が楽器と別々にある、という意識で演奏していては表現になりません。
私と楽器が一つになっている意識で演奏をしなければ、私の中の躍動感は楽器を伝って外に表現される事はありません。
私の外側にある楽器を鳴らして表現するという意識では私の躍動感は表現されず、"楽器の音を自らの耳で聴いている客観的態度を表した音"が出るだけです。
私の躍動感が表現されている音を表現出来ている時、私の内側の振動と楽器の振動と音が一体化していて、それは即ち呼吸であり、私の呼吸と音が一体化している状態です。
それが良いリズムを生み出す基本のあり方だと考えます。
グルーヴとは何か
グルーヴは、良いリズムを生み出す基本のあり方をベースに、私と一体にある楽器とそこから発せられる振動と空間が一体になっている時に生じます。
空間と一体になるというのは、私が空間を捉えて、私と楽器と空間が一体になっている状態です。
私が主体性をもって、楽器と一つになり、空間と一つになり、私の躍動感を表現すると、グルーヴが生まれます。
主体性というのは、私の小さな相対的な意識の分別心からの物ではなく、物事を対立するものと見ず、全てが一つであるという認識をもって発せられる主体性です。
相対的な視点で物事を捉えて楽器を演奏しても、良いリズムやグルーヴは生まれません。
それは相対的な音にしかならないからです。
相対するのではなく、対の絶えた状態、絶対である必要があります。
共演者と演奏するときも相手の音を聴きつつも相手に合わせてはいけません。
相手に合わせていても良いリズムやグルーヴは生じません。
相手の音を聴きつつも、主体性をもって自らの躍動感を一体の意識で表現し、さらにお互いのリズムやグループが一体になった時、バンドとして最高のグルーヴが生じます。
現代の奏者は何かと客観性を重んじます。
自らの内側から発するところを蔑ろにし、伝統的にせよ革新的にせよ、どう聴こえるかばかりを気にしています。
そこに私と楽器と音と空間の一体感などは存在しません。あるのは孤立と客観、もしくは暴力です。
その態度は自らの躍動感を無くし、どんなにテクニックがあったとしても、メトロノームのように正確に演奏できても、良いリズムやグルーヴを生み出す事はありません。
現代において、本物の良いリズムやグルーヴを演奏できる奏者は本当に少なくなってしまいました。
それは音楽の商業化、自己実現化、功名心、根底には、現代人の自己嫌悪とそこから発せられる承認欲求がそうさせているのだと感じられずにはいられません。
もし良いリズムで素晴らしいグルーヴが表現できれば、それは平安であり、幸福であり、ありのままの私で、満ち足りた状態になります。
逆説的に言うと、ありのままの私で、満ち足りた状態であれば、良いリズム、グルーヴは生まれるという事です。