私とK#75
日時:2017年4月30日(PM9:00~)
きっかけ:数日後の同人イベントに備えての作業中、有料配信動画サイトにて作業用BGMとして「K」を流したことから。「K」自体は以前から友人に勧められていたが全く興味を抱けなかったため、「観た」という実績だけ残そうと思い数多くある配信のなかから「K」を選んだ。
Kになった瞬間:
明確に「Kになった瞬間」というのは思い出せないが、気づけば五話まで視聴し、それをTwitterで報告したところフォロワーに潜んでいたKクラにあらゆる情報を与えられキャパシティが限界となったその二時間後、五話まで観た足跡として二次創作小説をぷらいべったーにアップしていた。
いまになって思うと「K」にこれほどのめり込めたのは、主にKクラによる膨大な情報提供も影響しているのではないかと思う。周防尊のピアス、八田美咲の腕時計、櫛名アンナの生い立ち……etc。視聴を進めるごとに小出しにされていくキャラクターたちのバックグラウンドに、戦慄きながら一期を完走。泣いた。等身の高いキラキラアニメはご遠慮願いたい(笑)とか完全に馬鹿にしていた馬鹿はあのとき死んだ。その後もKMK、二期と視聴をはじめ、同人イベントにてフォロワーに直接「八田美咲は女性物Sサイズに収まる」と教えらた時には完全に「K」に没していたのだと思う。「K」を視聴してから、おおよそ五日間の出来事である。
Kを見る動機も、深くKに落ちる原因も明らかに周囲のKクラの囲い込みだけど、潜在的なKに対する適正もかなり高かったと思われるので、ちゃんと囲ってKに出会わせたKクラの皆さんは来世に向けた徳が高まりましたね(?)Sサイズのエピソードは全員Kから。
今はどうしているか:Kに没し、一ヶ月経たずにFC入会。関連書籍を買い、読み漁り、同年9月にはラフォーレ原宿にて行われた原画展に行き、そこで上京することを決意する。この時、私は自営業を営んでいたわけだが、東京で立て続けに行われる「K」のイベントに自分が参加できないという事態に嫌気がさしていた。連日だってラフォーレに行きたかった。なんならいっそ期間中ずっと原宿にホテルを取って通いたかった。そうしてそんな悲しい現実に確実に留めを刺したのが、ディファ有明で行われたイベントに参加することができなかったという事実である。これに関しては、いまだに行けなかったことを悔やんでいる。当時のTLの阿鼻叫喚を思い出してはその現場に自分がいなかったことが本当に悔しい。そういったわけで、これをきっかけに転職活動を開始。「K」の近くに在りたいという一心から転職を決め、無事10月初旬に上京。「K」と出会ってから約5か月で「K」の為に転職をし、「K」の為に上京をした。
その後は「K」があるところならどこへでも、と行動範囲が広がり大阪はもちろんK7Sが始まってからは愛媛、徳島にも遠征。ただ映画を観るためだけに飛行機や新幹線に乗るということはいままでなら絶対に考えられなかったことである。現在進行形で「K」に人生を変えられている。同じ映画を週4で観ているあたりで確実に昔の自分とは変わってきている。いまはただただ「K」が終わってしまうことを考えては情緒が不安定になる日々である。できることなら一生続いてほしい。一生全力で絶対に「K」といたい。
1人選んだら:坂東三郎太(「K」を認知した時に初めて視界に入れたキャラクター。あと家が燃えたから)
軽い気持ちから、行くところまで行った例。最近ミュージカルのために仕事をやめ…というオタクがTVで紹介され少しバズりましたが(2019/3/24現在)Kのために人生を変え生き生きとしているKクラもこうして存在するんですね。さんちゃんの話もKFC日替わりからかな?コア…
一番好きなK:R:B(ノベライズ)
一番好きな雑誌版権(ポスター)・グッズ:
サークルKサンクスのタペストリー(八田と坂東のもの)
※画像は2017年開催原宿で開催のK exibitionの展示の様子
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