
2025年 第9週 『恐怖の大王の帰還』
『よつばと!』の16巻が、出たぞーーーー!
実に4年ぶりの新刊。巻を追うごとに間隔が開くようになり、もう大作ゲームの新作くらいの感覚で世間に受け入れられてる気がする。そのぶん、離脱する人は少ない。もはや国民、いや、五輪に並ぶ世界の行事だ。
15巻が出た頃は、俺はまだ高校生だった……。スマホのメモアプリに15巻の感想が残っていた。いいこと書いてんな〜と、思った。
本屋に行ったら平積みされてて、来る人来る人どんどん買ってくからびっくりした。特別なカバーもつけてくれた。出版業界にとっても一大行事なのだな。
サイゼリヤに持っていって読んだ。
105話 よつばとクリスマスツリー
のっけから小春子だ! メガネなし。
事務所っぽいオフィスで働いてる。私服だし、なんかこう、中目黒あたりな気がする。16巻の小春子の出番はここだけか。もっと……もっと小春子をください。
よつばの補助輪が取れた……!
がらがら音を立てて隣町まで行ったのが遠い昔のようだ。でも作中の時間では3ヶ月くらいなんだよな……。
よ「へんなくも! なんだあれー?」
知らん男児「あれはひつじぐもだよ! ぼくはしってるんだ! ひつじのむれはみたことないけれど……」
よ「よつばはみたことあるよ!」
知らん男児「ほんとう!? すごい」
…
す……
↑急に話に入ってくる知らん同い年くらいの子供、いるよなー。で、すぐに会話は終わるの。この空気感リアルだ。
ひげもじゃ「一緒に遊びに行くなら今ですよ 小学校入ったら意外と自由にできる時間がなくてね」
15巻くらいから、よつばが小学校に上がることを意識した話が続く。夏休みからスタートしたこの作品も、22年の連載を経てクリスマスに突入。よつばが自由に遊べるのもあと3ヶ月しかないんだなあ。寂しい。
クリスマスツリー。大きさといい、偽物の葉っぱといい、俺の実家にあったツリーによく似ている。小さい頃は持ち上げてもらわないと星をつけられなかったのに、今や見下ろせてしまう。子供の肉体的な成長を一番感じるのってこの瞬間かもしれないな。
106話 よつばとしょくどう
砂場で食堂ごっこをするよつばを見守りつつ、お出かけの相談をするとーちゃんとジャンボ。高尾山にトレッキングに行こうという話になる。
よつばの食堂は、お好み焼きもエビフライも何回でもおかわりできるらしい。大丈夫か?
ポイントカードのポイントを貯めると、すごくよく飛ぶ紙飛行機がもらえるらしい。なんて素敵。
なんとなく、この投稿を思い出した。
数字を溜めるだけという、本来のポイントカードが持つ無味乾燥な役割に比べ、ぷいんとーかどには何だって溜めておけそうな、想像の奥行きがある。
こどものごっこ遊びには、経済のサイクルの埒外にいる人間にしか生み出せない他者奉仕の本質のようなものが多分に残されている。
よつば「ぴ ぴ ぺいぺい ぺいぺい」
この世界にはPaypayがあることもわかった。キャッシュレス決済をとーちゃんが使ってるとは思えないから、多分CMとかで覚えたんだろうな。
107話 よつばとなかよく
やんだだ。またこいつは勝手に上がり込んでゴロゴロしてるのか。高尾山の件だが、とーちゃん一人だと目が行き届かないから、また今度にしようということになった。
とーちゃん「行く方法が1つある 大人をあと一人連れて行くんだ イヤでも」
というわけで、やんだがついてくることになった。
やんだの表情とか、あずま先生は長期連載を経て今一度マンガ的表現に回帰しているように思う。というよりは、リアルな人間の顔面をマンガに落とし込む技能が上がってきたのかもしれない。
高尾山か〜! 人生で2回くらい行ったことあるな。あの山なら、体力のある子なら5歳児でも登れるでしょう。いざとなったらリフトもあるし。
108話 よつばとたかおさん
絵がバカみたいに上手え〜〜〜。あずま先生の絵はリアルとデフォルメの良いとこどりをしている。デッサン力は『あずまんが大王』のころから飛び抜けていた(『大阪万博』に収録されている、まるで3Dモデルを描きおこしたようなフィギュアのデザイン画よ)が、線の取捨選択が抜群に上手い。緻密に書き込まれた背景と、4頭身のよつば。これらが反発せずに同じ画面で共存できるのは、両者が同じ線で描かれているからだ。だからイラストレーターと漫画家を兼ねられるのである。
109話 よつばとやまとかわ
舗装のない6号路は、沢を通る感じになるのか。そして辿り着く川の始まり。
110話 よつばとてっぺん
やんだがおにぎりの大きさでマウントをとってよつばを泣かした。まったくどうしようもない奴だなコイツ。
やまはいいな!
111話 よつばとしゅみ
久々の綾瀬家三姉妹。恵那が見てる動画はアメフクラガエルかな?
よつばのお医者さんごっこ面白い。
「ななじゅうにど はいもんだいありません」
「しんぞうばくはつだ!」
あさぎは多肉植物が趣味なのか。
話は逸れるが、俺がよつばとに触れた12才の頃は、一番好きなキャラは恵那だった。今はあさぎとか小春子になってきている。俺も歳を取ったんだな……。まあ一番好きなキャラは依然しまうーですが……。
112話 よつばとせんせい(描き下ろし)
あずま先生がこの回を「最終話」とポストしたせいでXがざわついていた。タイトルも最終回っぽいし! 実際は16巻の最後に収録された話という意味だったのだが。マジで焦った。
逆上がりをする背中が見えた瞬間の、脳裏に走る電撃。え? え? 嘘でしょ?
からの
みうら「大阪先生───」
ですよ。びっくりして首の筋を違えた。イタリアンワイン(赤)も注文した。
大阪が大阪のまま大人になった。よつばが小学校に上がったら……。彼女にはとても窮屈なんじゃないかとか、いやいや彼女はなんでも楽しめる人だから大丈夫とか色々気を揉んだものだが、大阪が先生なら! なんと心強いことか。きっとよつばに振り回され、ときには振り回してくれるだろう。
(『あずまんが大王』本編の大阪って、『よつばと!』世界に存在できるの? という話はここに書いた。たくさんの方に読んでいただけているようで、ありがたいです。)
俺は前作主人公という概念そのものを愛しているが、『よつばと!』における大阪は前作主人公史に残るだろう。
『あずまんが大王』も『よつばと!』も、日常ものの金字塔と言える作品だ。そして両者は日常の切り取り方が決定的に異なる。ややフィクショナルな日常を生きた大阪の経験が、リアルな日常を生きるよつばの少し先で手を引く道標になる。『あずまんが大王』と『よつばと!』の関係そのものだ。「よつばの先生が大阪」というのは、単なるファンサービスに留まらない、大きな意味のある采配だった。
森美術館で開催中の「マシン・ラブ:ビデオゲーム、AIと現代アート」に行った。
挑戦的なところと言えば、キャプションをChatGPTに書かせていたことくらいかな。割と堅実な展示だった。AIと銘打ってはいるが、ジェネラティブじゃないアートもたくさんあった。
佐藤瞭太郎さんの映像作品がとても気に入った。ゲーム制作に使われるアセット達が、彼らの世界で不条理な挙動を繰り返す様に恐怖にも似た感動を覚えた。彼らは自分が物理的にありえない動きをしていることを知らない。外の世界が「無い」ことも知らない。でもどこか楽しそうにも見えた。
夜は、屋根のないバスに乗って都内を走り続けるツアーに参加した。なんかテレビの取材も来てた。友達が暖かい格好をしてこいと言ったときは舐めるなよと思ったが、出来うる最暖の格好をしてきてよかった。
スマホを弄らずに乗り物に乗るのって本当に久しぶりだ。なんかずっとテンション上がってて、夢だったような気すらする。都内の位置関係がなんとなく分かったのも面白かった。東京って狭いんだな……。
AIを制作補助に使うことを押し出したアニメ「ツインズひなひま」の詳細が発表された。脚本が品田遊(ダ・ヴィンチ・恐山)だ! ついにアニメの脚本まで。最近働きすぎだろと思う。俺は原作が好きな場合くらいしかアニメを見ないけど、これはちょっと面白そうだ。2025年3月時点ではAI補助技術はこのレベルだったんだよという、後世の資料になりそうな作品だから。
PVを見た感じ、アウトラインは揺らめいていて、いかにも生成された動画という雰囲気である。ただ、この違和感が実は伏線でしたみたいなことをこの製作陣はやってきそうだなという気はする。怪異に立ち向かうお話のようだし。
雪が降った。3月にして……。