断酒会は本当に万人に必要か

断酒会とは、お酒が止(や)められない病気のアルコール使用障害(旧:依存症)の人達が集まって過去の体験談を語り合い、なぜかそれで断酒が出来ると言う助け合いのグループ。それは自助グループと言われる。
アルコールやギャンブルや薬物等の「依存症」とされる人達にとって最も効果的な治療法だとされていて、医者が必ず薦めるメソッドだ。

私自身は重度のアルコール使用障害だ。
当然この断酒会にも行った事がある。
むしろ入院中のプログラムに入っているので病院に罹っていると必然的に参加させられる。
最近は空気感染する病気が疾った為オンライン会議が普及し、その波及で入院患者と一般の断酒会とが繋がると言う事が起きている。
一般の断酒会に参加してる人(退院している)は9割以上の人が既に断酒継続している人だが、それと比べて入院患者はそれが容易に出来ない人である。
こそに大きな壁が有るのだがこんな大事な事が未だに無視され続けている。
だから話す内容も必然的に違う。
入院患者は最近の出来事や心境を色んなバリエーションで話すのだが、長い間酒を止めている一般の人の話の特徴は毎回同じ様な内容を話すと言う事。
入院患者からしてみればそんなどうでもいい他人の過去の体験談なんかよりも、その先人達のあらゆる「酒の止め方」を聞きたいのが本音だろう。
止めてる人と止めれない人では次元が違うのだから。
だからそこを一緒にされては困るのだ。
リモートなんてものが出てきてこの様なぐちゃぐちゃな断酒会が出来上がっているのにそこに医療が付いてきていないのをひしひしと感じる。

例えで「正直者が馬鹿を見る」と言う言葉が有るが、それは逆に馬鹿だから嘘がつけなくて消去法で正直に生きるしかない人達が頭の良い人に騙されて損をすると言う事。
考える力が無いから考えなくて良い「見たまま」を愚直にこなす事を選ぶ人間達。
辛辣かも知れないが、私には断酒会に参加し毎回同じ内容を何度も何度も語って居る人は既に考える事を諦め脳死状態で奇跡的に止められた状態をキープし続ける為に毎回自分に言い聞かせている為に唱えている呪文の様にしか聞こえない。
その毎回語っている内容、それが彼らが止めれてる原動力で有り、おまじないなのだろうと。
だからこそ、そこで話す内容は他人にとっては有益とは限らない。
むしろ飲んでいて気持ち良かった時の話なんてザラに出てくるのだから今止めている人からすると逆に想起し本当に飲みたくなる場合も有る。

依存症と言うものは肉体的なものは大したことは無い。
精神的な依存さえ無くなってしまえればもうどうと言う事は無いのだ。
他人が同じ病気で苦しんだ話を聞いて恐れおののくも良いが、結局の因果は全て自己の中にしか無い。
だからこそ先輩方達にはその止め方のコツを聞きたいところなのだが、断酒会に参加している人の止め方は共通して「一日断酒」「例会出席」「体験談と言う呪文」なのだからそれ以外で止められている私の様なマイノリティには響かない。
そう思って居るからむしろ他人にとって有益であろうと思う理論を述べると一部から物凄く煙たがられる。
実際私自身リモートで参加し、京都府の断酒会の理事とやらの偉い人に2週に渡って私個人だろう内容を「数字がどうこう言うてますけどねぇ」と誹謗中傷された。
断酒会では他者の発言への誹謗中傷はご法度。
それを断酒会の理事を務めてる様なそれは偉い人がやっちゃけないな、と、会長が注意はしてはくれたが、やはり変化を嫌う人達の集まる場所と言う事実の裏付けにもなった。

私には断酒会は向いていなかった。
私に親身になって接してくれていた同じ病気のヤクザの姉さんは「お酒は諦めた」と教えてくれた。
今ではその意味が痛いほど良く分かる。
なぜ止めれてるのかが分かれば理論を要約してその言葉だけで事足りる。
だからこそ断酒会しか止める方法が無いなんて視野が狭くなってしまわないで、他にも断酒する方法は有るんだって知ってもらうべきだし、医者がこれを言わなくてはいけないと私は思うが、医学として論理的な証拠が無いとそうは行かないんだろうな。
帰無仮説を棄却だっけ?
人間の心を相手にする精神病の治し方に「万人絶対コレ」なんてものは無いんだから、批判されるだろうけどせめて私だけでも吠えさせて下さい。
断酒会だけじゃない、と。

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