承認厨を脱却するために 2

先月からバズっている「わざわざ」の平田さんのnote。「人はなぜ買うのか。」 が私が、考えてる承認厨と繋がったので、メモ。

平田さんは、人はなぜ買うかを4つの要素で定義してます。

1、必要 2、収集 3、承認 4、投資

と、わけて考えてる。私にとって演劇や音楽とかの芸術は、1、2、4なんだよね。だけど、3の承認に芸術とかアートを使う人が一定数いる。

あえて、アートって言葉にしてみました。

アートって言葉自体、私、あんまり使わないかも。芸術、ゲイ↑ジュツ、ってあえていう。小さなこだわり。

東京の劇場のカフェで長くアルバイトしていたので、その時から、ああ、このお客さんは、ファッションでみてんなーって思うことあったなあ。富山に帰ってきてなおさらそういう人に会う頻度高いかも。なんでだろ。

アートが、おしゃれの道具になってる。

「演劇」ってあんまりおしゃれ感ないから、あれだけど、富山は利賀村があるので、「利賀村に行く」っていうと、ちょっとインテリ風な承認もらえるのかな。承認の道具に演劇を使う人は大っ嫌いだけど、音楽は、私自身に距離があるので、まだ平気。

ああ、この人承認されたくて、音楽のライブいってんなあ…って

いいんだけどさ、それでも、全然。個人の自由だけど。

でも、それじゃあもったいないよねえ。その作品の中に、踏み込めないのってもったいないよねえ。「わからない」ってシャットダウンしちゃうのも一緒だけど。「わかんない=考える事を放棄」だもんねえ。

承認、というか、

考える事を辞める人が嫌いなんだ。学ばない姿勢が嫌いなんだ。

70代後半の新劇劇団の俳優さんが、現代口語演劇の劇作家に「勉強させていただきました」って言ったとき、ああ、いくつになってでも勉強ってできるんだなーって思った。その挑戦する気持ちを忘れちゃ、きっと一遍に老ける。

私は、ずっと学び続ける事をわすれないでいようと思う。


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