死にたくなる私はどこにいる?
私の実の母は、精神障害手帳を持っている正真正銘の双極性障害(躁うつ病)の持ち主。
精神疾患だけが理由じゃないけど、まあ、それが大半の理由で、離婚されて、親権をとられて、それから30年以上薬を飲み続けている母を知ってる私は、どうしても、「薬」に対して疑いを持ってしまう。
「薬」が彼女の病気を作っているとすら思う。
だから、私が、たいそう苦しくても、抗うつ剤とかを摂取したいとは思わないよね。
でも、これ、多分、診断されたらうつ病だろーなーっていう、「死にたくなる私」は、突然あらわれたりする。
死にたくなるっていうよりも、
きれいに、私の存在だけ消えてしまえたらいいなあって
苦しまず、誰も悲しまず、誰も困らないように、きれいに消えてしまいたい。
みたいな穏やかな死に対する欲望もあれば
「こんなにしんどいなら死んだ方がマシ」
っていうやや強めの欲求の時もある。
これはいったいどういうルーチーンの時に現れるのだろう。もっと自分を分析したいけど、できていない。
「死にたい」っていう欲求は、誰しもが持っていると思っていたんだけど、そうじゃないんだ、って目から鱗だった高校生の自分を思い出した。
「シスターシスターシスター」っていう死にたい妹と、その姉の、妹が自死するまでのストーリーが書かれた戯曲がある。
その作品を高校の演劇部でみんなで作った時、創作の過程で、死にたい自分っている?みたいな話になったとき、
「死にたいなんて思ったことない」って姉役の子が言って。
私は死にたい妹役だったんだけど。
そうか彼女みたいに、両親が仲が良くって、充分に愛されて育った人は、「死にたい」とはかけ離れた思考になるのか
と、目から鱗だった。
うらやましいなあ。愛されたかったなあ
って今でも思う時があるけど、
私は、そういう葛藤を知っている自分でよかったとも思う。
今日は死にたくなる自分がいない。
死ななくてよかったって思う自分がいるので、
死にたい人は死なないで、どうにか踏ん張って生きて。頑張らなくていいから踏ん張って、踏みとどまってって思う。
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