健康という名の暴力


村上春樹の小説だったかな。うろ覚えだけど、
「殺人をおかしちゃう人は、想像力のない人間」だって
殺された人にも人生があって、家族があって、そういう事が想像できないから、殺すことができるのだみたいな。

殺人事件のニュースとかみると、そのことがたまに頭によぎるんだけど

私も、そうだって話。

娘も息子も、元気で、いわゆる障害もなく生まれて、育ってきて、
先月、娘が40℃を越える熱をだすってのが何日もあって、そうすると、精神的にかなりまいるね、親が。
死んだらどうしよう、なにか、障害が残ったらどうしよう

って、
病児を育てる親は尊敬しかないな。こんなに、精神的にまいるなんて。
もっと重い病気を患っている子をもつ親の気持ちを想像して、辛くなる。
40℃の発熱を経験して、そんな病児の親の気持ちが初めて理解できるなんて(もちろん100%の理解は無理だけれども)、私の想像力はなんて貧弱なんだろうか。
って自分に驚いた。

去年、私は、バセドウ病って診断されて、めちゃくちゃ私は運が良くって、もうほとんど完治しているんだけど、
バセドウ病って診断されて、初めて病気の人のメンタルを知ったっていうか。

「健康」「健常」って弱者に対して、暴力的なことってよくあるよなあ。って初めて考察した。

ブラック企業で働いてた時の、店長の健康さっていったら、もう、すごかった。「バカは風邪をひかない」ってこういうことなんだ、って同僚と話してた。

そう、健康は時に、暴力となる。

バセドウ病がもうほとんど完治したら、もうすでに、健康的な暴力思考になりそうな自分に警告を鳴らしてみる。

娘は元気になって、子どもが病気をすることによって、家族ぜんたいの絆が強くなるような気がする。これは渦中にいたら気がつかなくてテンパるだけなんだけど。これも、大事なことだと思うから、メモを残して、おく。




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