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里山十帖 『里山を創生する「デザイン的思考」』❶ 第1章 開業までの奮闘記



本書の概要

 新潟県大沢山温泉に開業したライフスタイル提案型の宿泊施設「里山十帖」。何もないと思われている各地の地域価値を掘り起こすにはどうしたら良いのか。どのように形作り、発信すれば良いのか。従来のデータ型マーケティングの常識を覆す「デザイン的思考」について、里山十帖を題材に展開していく。

ダイジェスト

旅館を始めたきっかけ

 経営の母体は出版事業(雑誌『自遊人』)と食品販売事業(「オーガニック・エクスプレス」)雑誌と食品販売に共通するのは「メディア」であるということ。食品に次ぐ「リアルメディア」として、旅館経営を始めることに。

「宿は地域とライフスタイルのショールームになり得る」と常々思っていました。旅館そのものがリアルメディア。見る、感じる、食べる、くつろぐ、寝る・・。

p.43

「デザイン的思考」

 マーケティング理論を始め経済学が高度に発達した社会では、すべてが計算によって未来を読み通せるように思われる。しかしそれによってもたらされたのは、短期的利益の追求だ。「これが流行る、これが売れる」という予測に一斉に群がり市場を食い尽くしていく。
 この現状を打開するための発想法の一つが、デザイン的思考。その基本的ロジックは、次の通り。

① 現実社会とデータの反復検証

私たちの会社では、データよりも「どう思うか」という肌感覚を大切にしています。何かを企画する際に、まず重要なのが「体感・体験すること」。そこで感じたもの、見たものを自分たちでまず分析します。その後、気持ちをクールダウンして、関連するデータに目を通します。その際に「なるほど」と思うこともあれば、「あれ?感想と違うな」と感じることもあります。その後は「なるほど」と思ったことは否定的に、「あれ?」と感じたことは肯定的に見ることはできないか、逆方向の検証を行います。さらに、年齢や所得、職業などあらゆる人格を想定しながら、何パターンもの検証をするのです。

p.20

どんな情報にも惑わされない複合的な自我を形成することが重要だと思っています。

p.92

②共感の統合

そして次に考えるのが世相。人々が何を望んで、どこに向かっているのか。自分の脳内に多種多様な価値観を同時に走らせながら、ふたたび「体感・体験」して大きな流れをつかみます。複合的に多数の意識を内包した一つの人格がどこを向き、何を求めるのか。時代の趨勢を客観視しながら、自分たちの会社の目的と社会がコミットメントする点がどこなのか、反復検証するのです。

p.21

当初の新規事業イメージ

● イメージ
「晴耕雨読の里」
● ターゲット
 ① クリエイターや作家など創造力で勝負している人
 ② 経営者を始め、プログラマーやエンジニア、医師など日頃、神経をすり減らしながら仕事に集中している人
● バリュー
 リラックスして過ごすことができる空間、そして五感をかきたてられるような空間を作りたい

売り物件と購入検討プロセス

 地元の知人経由で、大沢山温泉の旅館の売却情報が筆者の元にきた。大沢山温泉は「幽谷荘」「大沢館」と全部で3件あり、今回の物件は最奥にあったもの。
 母屋は素晴らしい建物で、総欅、総漆塗り。豪雪地帯にあってもこれだけ太い柱と梁が入った建物は滅多にない。
 翌日から営業状態や設備のチェック。まずわかったのは暖房効率の悪さと冬季の雪の問題。冬を乗り越えるための費用を計算し、一人客単価にいくら乗せるかまで落とし込むと、なんと6,666円。これまで経営者が3人変わってきたが、全員この費用を乗り越えられなかった。

改修工事の予算どり

【総額1億円の予算どり】
 宿泊棟12室の断熱・リニューアル 2400万円(1室200万円)
 母屋の断熱・リニューアル 2000万円
 設備機器の更新 2000万円
 不動産購入代金 4000万円

 前社長を始め、家族が無償で一定期間働いてくれることを条件に、不動産の売買契約を結んだ。古い旅館の場合、このような引き継ぎがあることが重要。
 旅館のリニューアルは、「構想1年、設計1年、施工1年」という3ヶ年契約が基本。その構想のため「まずは1年間営業をしてみる」のが一般的だが、赤字は出続ける。また雪国のため、11月〜4月は工事ができない。さらに特殊豪雪地帯なのであった。
 コストを抑え、スピードを早めるため、ゼネコンや工務店への発注ではなく、職人に分離発注し、数期工事に分けて工事を実施。法人の17年ローンと、社長個人の借入によるリノベーション工事が始まった。

実際の工事費用 返済をどうするか

 最終的な投資額は、3億円となった。そこで、宿の宿泊費を上げることを検討することになったが、客室稼働率で考えるか、定員稼働率で考えるか。従来の旅館の指標である定員稼働率は、「2畳で1名」と考えていた。つまり、広い部屋になるとその分、宿泊費を上げる必要があるということだ。

旅館の特性を踏まえ、宿泊費を検討する

 では、ホテルではどうなのか。ホテルと旅館の違いは、旅館が労働集約型産業であるということ。規模が大きいホテルになればなるほど、労働集約型から脱することができる。つまり利益率を考えると、高単価の旅館よりも低価格の大型ビジネスホテルの方がはるかに良い。
 小規模な旅館で高品質な料理やサービスを1室2名様に提供しようとすると、1泊2食の単価は最低でも3万円、ちょっと何かを突出させると5〜6万円、あれこれ本物にしたいと考えると10万円以上になる。
 近年オープンした高級旅館は軒並み5万円以上だが、それでも「インリアがチープ」「料理が今ひとつ」と感じる人は少なくないはず。「本来は10万円にしたいが、何かを削るしかない」というわけだ。
 そこで、客室料金を抑えるために考えたのは、「パブリックを快適にすることで客室が40㎡前後でも十分な快適空間は作れる」ということだった。パブリックスペースも含めた1室あたりの面積は165坪になる。昔の宿は団体客や宴会客を対象にしていた作りのため、パブリックスペースが多いが、今は役割が違ってくる。

私たちは、広い客室よりも、豪華食材よりも、旅で得られる感動が優先だと考えているのです。

p.55

不動産のバリューアップ「絶景の土地に仕立てる」

 もともと露天風呂の周りはぐるりと杉林。しかし地形図を見て、木を伐採すれば目の前に絶景が広がる可能性が高いと考えていた。
 実際に伐採することで、全く違う環境になった。百名山を始め、標高200m前後の山々が連なっており、人家や道路、電線などの人工物が見えないのだ。浴室棟は斜面ギリギリに移設したため、日本でも有数の絶景風呂になった。

私たちの思いをひとことで表すなら、「Redefine Luxury(ラグジュアリーの再定義)」。
四季折々、さまざまな物語が展開される自然豊かな里山。豪雪に耐えてきた黒光りする梁と柱。古民家と共存する、世界を代表するデザイナー家具。創造力と創作欲をかきたてる現代アート。そして自然の力強さを感じる食・・。
見る、嗅ぐ、聞く、感じる、眺める、座る、くつろぐ、食べる、飲む、寝る・・。私たちは体験と発見こそが、真の贅沢だと考えています。

p.59

プレオープン期間を設ける

 問題が発生しがちな冬の期間、客室数を絞ってプレ営業が必要と考えていた。しかし天候不順により、露天風呂の工事が遅れ、プレオープンも延期することに。
 スタッフの中で旅館・ホテル経験者は1人だけ。オープン前研修を行っていたが、ほぼ全員が初心者なので、客室を絞った。
 また、理想とする料理人が採用できていなかった。自然派日本料理というコンセプトに共感してくれる料理人が見つからなかった。その後、プレオープン期間に下見に来ていた料理人を採用することになり、山菜料理など構想が広がっていった。

銀行の融資引き上げ話

 最終的に総工費は3.5億円に。設定した客単価から逆算すると、年間客室稼働率は60%以上となった。回収の目処がないと踏んだ銀行から、最終金の決済ができないとの通達があり、手元のキャッシュもないため、絶体絶命のピンチを迎える。
 業者に支払い期日の延長を申し出て、個人の資産を全て売却、親族にお金を借り入れて何とか支払った。
 一方で、客室の稼働率がどれくらい高まるか不安な日々が続く。観光地の旅館では、土曜日だけオンシーズンで、他はオフシーズンとなることが多い。年間約50日ある土曜日、7日間の年末年始、7日間のゴールデンウィーク、7/20〜8/20の夏休み、4〜5日間のシルバーウィークという、合わせて100日たらずがオンシーズン、他250日はどうしようもないオフシーズンなのである。
 スキー客をメインターゲットとせず、グリーンシーズンの稼働率を高く見積もっていた。しかも一般的にはこのシーズンの平日に集客するには定年退職者にメインターゲットを絞るしかないというのが常識なのに、クリエイターやビジネスの第一線で働く人がメインターゲットという状況。

大々的なプレスリリースを打たなかった理由

 不特定多数にプロモーションをかけるのではなく、いかに「共感の輪」を生むかを第一に考えていた。スタートダッシュ時の数字こそ稼げるが、宿とお客様のミスマッチを招きかねない。
 当初の客室稼働率は厳しい状況だったが、共感した方の口コミはあった。その中で、雑誌の編集長や旅行作家、エッセイスト、料理研究家の方が推薦してくれて、雑誌やテレビ、ラジオに取り上げられるように。徐々に、予約日ベースの稼働率(先行指標)が100%になるようになり、オープンから3ヶ月で92%まで到達した。

お客様を限定する

 一般的に宿は「お客様を限定する」という意識を持っていない。ターゲットは明確でも「全てのお客様に満足を」と考えていることがほとんど。つまり、ターゲット層は広く、しかも本来のターゲット層と違うお客様でも満足してもらえるように自分たちが軟体動物のように変化することが日本の宿の特徴であり、「おもてなし」だと考えられている。
 しかし本来のおもてなしの意味を考えると、宿がどのようなお客様に来て欲しいのか、もっと明確に打ち出すべきだ。

私たちは『里山十帖』を雑誌よりも強い「共感メディア」にしたいと考えていました。紙だけでなく、リアルな体験をしてもらうことによって、より強く「伝える」ことができると考えたのです。

p.85



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