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「カタカナ英会話/甲斐ナオミ著」をよんでのビブリオエッセイ

*ふみサロ向け 意図プレゼン
私の学生時代は、受験英語。田舎の中学校の先生は、専門以外の教科も受け持つ。
「repeat to mi!」と言われたって、先生の発音自体が、超聞きやすい「英語」だったから、repeatするのは容易かった。
カタカナ発音英語。つまりは、英文をカタカナ読みしているのをちょっとは英語らしくしたようなもの。
そんな環境で、英語が得意と勘違いした私の得意と苦手は紙一重な話を書きました。

エッセイはここから

「できるをできないに変えられた日」
中学生になり、習う「英語」に出会い、ワクワクした時から半世紀が経つ。片時もそれを忘れたことも、その姿をお見かけしない日もない。
出会った頃は、海外の絵本を翻訳して、自由研究にしたし、英英辞典も、使いこなそうとしていたくらいだった。
記憶力が半端なくよろしくないにも関わらず、中学の英語の教科書は丸暗記ができた。単語を覚えるのには難儀もしたが、ローマ字読みで覚えることでなんとかなった。入学はしなかったけれど、私立高校の英語科にも受かった。
高校3年の1月のあの日までは、間違いなく英語は大好きで得意だった。
高校3年の一月、大学入試共通一次試験。
もちろん、マークシートの模擬試験も何度も受けていたし、某通信講座でも経験していた。本番でもいつものように、選んだ記号を塗りつぶしていった。
私の大好きな英語が、「あてずっぽ」で、得意だなんて甚だしい勘違いだったと思い知らされたのは翌日の朝だった。
二日間の試験を終え、新聞を見ながらの自己採点。数学はなんと9割正解で小躍りする気分だった。他の教科もまずまず。
最後に英語を採点し、言葉も表情も感情すらも失った。な、な、なんと、20点。言うまでもなく、200点満点の20点である。
頭の中に
「ち〜ん」
と言う音さえも、響かなかった。
頭の片隅で、「数学だけじゃ、大学には行けないんだよなぁ」と言う数学の先生の声だけが、何度もこだましていた。
今の私は、インバウンドのお客様に日本語で対応する。流暢な英語で接客する人を横目に、「日本に旅行に来たあなたが、日本語にチャレンジしてよ」なんて、自分の「できない」に言い訳をしているのだ。
しかしこの一冊「カタカナ英会話」、ネイティブな発音をカタカナで書いてくれている。なんだか、ネイティブの人に通じるのか実験してみたくなった。
ようし、世界を舞台に活躍する自分の姿を思い描きながら、密かに練習してみるとするか。

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