化学がつきとめた「運のいい人」中野信子著 ビブリオエッセイ

「あー、そうなんだよね」

今年に限ってうまくいかない。
情報も入ってこないし、お誘いも俄然減っている。
なんなんだかなぁ。
一つうまくいかないと、マイナスの雪だるまを転がしているかのように、だんだんとマイナス雪だるまが巨大雪だるまになっている。

そう思い込んでいる時に目に入るSNSの、誰かの華々しい投稿がやけに目につくし、感にも触る。
それが、さらにネガティブオーラの餌になって、なんだかぷんぷんといやーな匂いまで発しているんじゃないかと思う。

まてよ、去年の自分はどうだった?
嘘のように、大阪でも、東京でも、北海道でも、1坪未満の小さな小さな工房の私が、出られるようなイベントじゃないものに、次から次と出させてもらってなかったか?
誰からも「運がいいやつ」と見えていたんじゃないか?
何年ぶんもの運を使い果たしたんじゃないか?

SNSの投稿というものは、大体がうまくいったことか楽しかった事だろう。
だから、あの人もこの人も、そっちの人も、みんな「運がいいやつ」に見えてしまうだけなんだ。

私だって、楽しいことしか投稿してなくないか?
側から見れば、絶賛不運な今年の私だって「運がいいやつ」に違いない。

情報がはいってこないとか、お誘いが来ないとか、そう言っている時点で、周りのせいにしているんだ。
それは違う。
その理由は、絶対自分にある。
自分にあるのはわかるけれど、それがなんなのかが分からなくて、誰かのせいにして終えば自分がちょっと楽になる。

「運のいい人は自分を大切に
扱う」
持病の喘息の病院を何ヶ月もさぼっているから×。

「運のいい人は自分なりの
「しあわせのものさし」を
もつ」
ものさしどころか、羨ましくて羨ましくて、なんでこんなことしかできていないんだと思ってしまうから×。

第1章の1、2項ですでにダメダメぶり発揮。
今年の残り時間で、1から5章までの全項目を✖︎から○にする努力を仕事にしよう。
来年は、自分でも「運がいい」と思える年にするしかない。

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