#69 「呼び方問題」
こんにちは、鏑木澪です。
みなさんは、日常生活でどれくらい相手の名前を呼びますか?
私の場合、今となっては面と向かって会話するのは家族くらいというのもありますが、基本的に名前を呼びません。
理由は、単に恥ずかしいからです。
呼ぶのが恥ずかしいより
呼ばれるのが恥ずかしい
私のまわりにいた人、職場や学校で関わってきた人はわりと名前を呼んでくれる人が多かったのです。
しかし、私は名前と自分の外見や性格・人間性が一致していないと思っていて、本名そのままの呼び方(ちゃん・さん付けなどを含む)をされると、どこか「嫌味」のように感じていたのです。
(私の受け取り方が悪いだけです。ごめんなさい)
そういうこともあって、
「呼び方で相手を不快にしたくない」
「自分も嫌な気持ちになりたくない」
こういった理由から、できるだけ名前を呼ぶのは避けています。
(一方的でごめんなさい)
私は、noteでブログ(っぽいもの)を書くようになって、
「自分が好きなものを書き留めておきたい」
もっというと
「私の好きなものを知ってほしい」
そんな気持ちもあって、よく
「このアーティストが好きです!」
なんて話題にしています。
例えば、前回の記事では、藍井エイルさんのことを話題にしました。
この記事の中でも、
ご本人がそうおっしゃっていることを知りながら、
私は「エイルちゃん」呼びであることを白状していました。
ただ、もしエイルちゃんと会って話す機会があったとしても、おそらく、私は「エイルちゃん」とは呼ばないと思います。
「ブラウン管のなかの人は、ブラウン管のなかにいてほしい」
(画面越しに観られるだけで十分)
以前にも話した気がしますが、私は基本的にこの考え方です。
芸能人、有名人と呼ばれる人でなくてもそういうところはありますが、
見たいところだけ、見ている
この自覚があり「それ以上、知りたい」とは現状、思っていません。
だから、「直接、本人に伝える気がない」前提で、
「私の脳内の呼び方」のまま文章を書いています。
そのため、状況によって、急にフルネームで呼んでみたり、昔のニックネームで呼んでみたりして、呼び方が変わることもあります。
あと、これまで何度もいっていますが、私は
「アーティスト(作っている人)の概念がなかった」時間が長かったです。
その名残から、
作品は知っているし、興味もあるが
携わった人のことはよく知らないし、正直あまり興味もない
ベースにこれがあります。
以前、
「誰が作ったかを気にしてしまって、作品自体に向き合えていない気がする」
「関わっている人が好きなのか、作品が好きなのかよくわからなくなっている」
そういった内容の記事を書いた気がしますが、考えてみれば、そこに違和感を覚えるのも私の根っこの部分に残っているこの考え方の影響だと思います。
今回、この記事を書こうと思ったのは、私のTwitterのTLに
「水樹奈々呼び方問題」というツイートがいくつか流れてきて
「”奈々様”と呼んでいる人のことが理解できない」
といった旨のことが書かれていたところからです。
私も何度か、noteで水樹奈々さんのことを話題にしたことがあるのですが、その際、「奈々様」と書いていました。
「奈々ちゃんがいい!」
ご本人がそうおっしゃっているのは、私も承知しています。
ただ、どの面を取っても、流石にそれは恐れ多いのです。。。
私もご本人を前に、「奈々様」と呼ぶことはしません。
しかし、心の中で”水樹奈々”を思い浮かべる時、
「奈々さん」では敬意が足りないと思ったので、
「奈々様」と書いていました。
この後にこのような言葉を続けている人がいました。
「どうして、そうやって距離を取って祀りあげようとするのか」
この考え方は、私にはありませんでした。
私は、「ライブなどのイベントに参加しない(できない)」人間なので、どうしたって
距離があるのが、当然。
そう思っていたのです。
神”様”的な意味の「奈々様」のつもりはないので、祀りあげている気はなかったのです。
しかし、振り返ってみると確かに自分の言動・行動はまさにそれであると思いました。
海外の神様の多くは、「目にできたら幸運、奇跡」といわれるのに対し、
日本の神様は基本的に、「目で見てはいけない、祟りがある」とされています。
私はまさに、そのような扱いをしてしまっているのでは……
反省です。
あ、上の例では、結局「神様」の思考から離れられていないので、良い例ではありませんね、、、
アーティスト、自分の尊敬する人、有名人、etc.
ついつい「自分より上の人」といった感じで線を引いてしまいがちですが
「同じ人間」であることも忘れずにいたいと思いました。
特に、「同じ目線」で接してくれようとしている人を
一方的に持ち上げて遠ざけるのは、むしろ失礼です。
その点、私は、
「誰かより上であることなど、ない」
(あるとしたら体重と年齢くらい?)
ですから、気楽に接してもらえたら嬉しいです。
ただもう、私は相当なコミュ障なので、内心喜んでいても表(言葉・表情)にはあまりだせないかもしれません。
私の反応が薄くても、どうか気にしないでください。
コミュニケーションにおいて、
「相手の名前を呼ぶ」のには、いろいろと良い効果があるそうですね。
私も「恥ずかしい」といいながらも、
心の底では、名前を呼ばれて悪い気はしていません。
胸を張って、”鏑木澪”になれたら、私の心の中にある「恥ずかしい」はなくなると思うので、そうなるように頑張ります。
そして、みなさんの名前も呼べるようになりたいです!
修行せねば、なりませんな!ッ
ではでは〜
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