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一度きりのお花見
好きなように外出ができなくなってストレスを感じている人もいるという話を聞きく。
私は、幼い頃から外出は好きではない。
なるべく、家にいたい。
そういう人間だったので、自粛期間というのは「合法的にひきこもりができる期間」(意味不明)といった感じで、正直、嫌なことよりも良いことのほうが多かった。
まぁ、学生だからのんきにそんなことを言っていられるということはあるけれど。
世の中がこんなことになる前は、「学内アルバイトだから安心だ」とかいってはじめたら、超ブラックな職場で身も心もズタボロになっており、後に母から「もう限界だろうなって思ってたよ」といわれるような状態になっていた。
まぁ、強制的に仕事から切り離されたことで、私は救われたわけだ。
あの頃の私はまともな判断ができなくて、「そんなとこ辞めたほうがいい」っていろんな人に言われたけれど、「私がやらなきゃ」という謎の責任感で、ゴタゴタやっていた。
そういう暗い話はおいといて。
母から聞いた話をする(ちょっと脚色する)。
外出といえば、コロナなんかなかった頃、母は祖母とその友人を連れて時々ドライブに行っていた。
しかし、昨年は殆どそれができなかった。
すると、祖母が少しボケ始めたとのこと。
そうはいっても、もう80歳もこえているのだから、物忘れも増えてくるものだろう、と思うのだけれど。
むしろ、この歳になっても殆ど毎日仕事をしているのだから、そんなことはないだろう、と私は思っていた。
祖母は耳が不自由なので、娘夫婦(つまり私の父母)と同居しており、母と共に繊維業を営んでいる。
幼い私の記憶にある祖母は、朝5時くらいには起きて、朝食を作り、食べ終えるとすぐに仕事をはじめ、昼食休憩もそこそこに、夜9時くらいまで働き続けていた。
それが異常だったとは思う。
感染拡大を受けて、大学の寮が出した強制退去の指示に従い、実家に帰った私が見た祖母は、確かに昔とは違っていた。
朝8~9時に目を覚まし、母が作った朝食を食べてから昼過ぎまでベッドの上でテレビを観ながらのんびりして、おやつの時間の少し前くらいから仕事に向かい、6~7時の間には仕事を終えて帰ってくるのだ。
もう少し長く働いている日もあったが、逆に一日中ベッドの上でテレビを観たり、うとうとしたりしている日もあった。
ちょっと、ショックだった。
それにはいくつか訳がある。
私は、高校がスポーツの強豪校だったということもあって、普段の練習は遅くまであるし、週末や長期休みは殆ど遠征だったので、あまり祖母と話すことができていなかった。
それで、進学先が決まって部活動も引退してから久しぶりにきちんと祖母と顔を合わせた時、目が小さくなって、皺が沢山増えて……。
祖母がこんなにも歳をとっていたのだと気づいたときにとても衝撃を受けた。
でも、そんなこともまた忘れて、県外の大学に進学してからは全くといっていいほど連絡を取らず、たまに母から送られてくるドライブに行った時の写真も、「人が忙しい時にそんなもの送ってくるな」くらいの気持ちで、きちんと見ていなかった。
また私の知らないうちに、歳をとったんだな。
いや、私が知ろうとしなかっただけか。
誰でも歳は取るし、それに合わせて生活リズムが変わっていくのは当然のことだから、昔のように馬車馬に働くのはもう無理なのだろうし、そんなことをする必要もないということはわかっている。
でも、この状況がいたずらに祖母の時を進めているのだとしたら……。
そう思うと、胸がギュッとしまった。
少し感染状況が落ち着いてきた頃、以前と同じように、とはいかないが、母は祖母たちを連れてドライブへ行った。
私も誘われたが、遠慮した。
母は二人を菜の花畑に連れて行った。
祖母は華道の先生で、一緒に行った友人の方もお花が好きな人だから、きれいに咲いた菜の花を見てとても喜んでいたという。
そして、母が買ってきたアイスクリームとたい焼きを幼い子供のようにほおばり、満足そうに「ありがとう」と何度もいった。
「これが、最後の菜の花かもしれないから」
祖母の友人から、後日送られてきた手紙にはそのような一文があったそうだ。
これまでも何度もドライブに行っていたが、それについて感謝の手紙が送られてきたのは、今回が初めてだった。
「写真を見れば、何度でも、あのきれいな景色を思い出すことができます。本当にありがとう」
母はiPhoneで撮った写真をプリントしたものを渡していたのだ。
満開の菜の花に負けないくらい満面の笑みでピースしている二人。
私なんかより、ずっと若い。かわいい!
そんな写真だった。
大学から対面授業を行うという連絡がきて、私は大学の近くに引っ越すことになった。
母が車で送ってくれた。
その道中で母が言った。
「だからね、お花見ができたらいいなって思ってるの」
少しでも楽しいことができたらいいな、って。
以前の私なら、「また来年行けばいい」といって、今年のお花見の重要性なんて考えもしない。
でも、もう来年はないかもしれない、という人もいるのだ。
いや、みんな、一度しかない今年のお花見なのだ。
幸いなことに、ほんの少し出歩くことすら許されないという状況ではない。
正しい感染症対策の知識を持って、それを怠らなければ、ほんの少しの時間、桜の花を見ることくらいできるだろう。
いや、見るんだ。
祖母とその友人に、二人に、桜を見てほしい。
それが、この春の私の願いです。