#417 ぱんち
こんにちは、鏑木澪です。
鏑木を”ボカロP”という立場に置いて語ると難しい話題なのですが、私の好きなアーティストが体調不良になり、その人の声を元に作られた広義のボカロが、ライブで彼女の代役を務めるという発表を目にしました。
現役のシンガー、歌を売りにしている人の声を歌声合成ソフトのバンクにすることについて、今現在、個人的には否定的な気持ちのほうが強いです。
良い悪いという話ではなくて、歌う立場から考えると、私自身はそれをされたくないと。
(されることもないけど、欲しがるの私くらいだろうから笑)
矛盾した話ですが、自分の声でUTAUを作ろうとした時期もありました。私は、自分の声に寿命があって、「そう遠くない未来、完全に出なくなるのではないか」と思っているから、何か残したかったのでした。
今でも、興味はある。
今すぐにはしないし、そういう存在はいらないけれども、いずれはね!
雑に言ってしまうと、ボカロPである鏑木は好きな声質・声色・音色があって、それを自分の曲に取り入れられるのが嬉しいから、音声/歌声合成ソフトに助けられているけれど、自分の声を使っていきたい翠映は、いつでも自分と同等の存在として置き換えられる代用品があるのは、手放しに喜べることではない、と。
二律背反なんだわさ。
人によるんだろうね〜
自分自身である
全く別物である
都合の良いスペアである
面白い玩具である
いろいろな意見を聞いたことがあります。
以前は、いざ自分とそっくりなものが出来上がったときに、「自分が必要とされなくなるのでは」と不安を感じている提供者の声を目にすることが多かったように感じましたが、最近は肯定的な意見もよく見かけます。
本当に、人それぞれだと思う
ただ、こう、純粋なリスナーとして、「あなたの好きなアーティストの声をボカロにしておきました。好きな声だから嬉しいでしょ。代わりはこれでいいですよね!」と言われると、
良いわけがないんだよな
舐めとんのか
代わりになるわけがないだろうが
いえ、そういうつもりでの公式からの発表ではなかったのでしょうが、なんだか、すごく惨いものを見せられた気持ちになってしまいました。
(前にもあったことだし、そんなに珍しいことでもないのかもしれないけど、まだ受け入れられない心が私にはあるよ)
舞台に穴を開けてしまう、他の出演者やファンに迷惑をかけてしまうと感じて、アーティストにかかる負担は大きいでしょうから、それを軽減し、居場所を守る方向に使われているのだとしたら、悪いことではないと理解しています。
頭ではわかるけど、心がついてこないんだな。
自分が死んだ後、まだ歌声を望んでくれる人がいて、それを提供できる、声が残せるのは、ロマンがある気もしますね……でも、まだ生きてるからさ。。。
考えすぎなのかね〜
(時期的に、よくわからないことをウジウジ考えてしまうタイミングではある←いつも、ぐるぐる考えてらっしゃるやん、普段と変わらんよ、でへ笑)
実際さ、何事も、自分の代わりになるものがない状態のほうが社会的にはまずいわけで、代わりがいるのは良いことなんだけど、自分ひとりの心としては、やはりちゃんと誰かに必要とされる存在でありたい、替えの利かない存在でありたいと願ってしまうんだよね、私は。
いくらでも代わりがいるのは、事実なのだけど
あまり目の当たりにはしたくないんだな、、、
私は、歌手や配信者、声優など、声を使うことを生業にしている人たちに対して、その人を応援したくなるかの基準が、第一に「自分の好きな声であるか」であることが多いです。
話している内容や人柄は、この段階では関係ありません。
良い声だなと思ったところから、その人のラジオやブログなど、パーソナルな部分が垣間見えるものに触れて、時間をかけて”人”を好きになると、応援したい気持ちが芽生えてきます。
”声が好き”なだけで止まってしまった場合でも、「最近、どんなことしてるのかな」と気にはなるから、可能な限り情報は追いかけるけれど、いまいちこう、ハマりきれないのでした。
人の心なのでね、
別に相手が何をしたわけでもないのに
急に興味が湧いたり、逆に興味を失ったり
いろいろあるから、「絶対こう!」とは言えんのだけども
好きな”声”だけ持ってこられても、”人”のことを好きにならなかったら、そりゃ全く意味がないんだよと、ゴリ押しで説明したかったのでした。
(視点によるのは認める。”声が好き”というだけで、出している人のことを全然知らないまま、作品だけ追いかけていることも稀にある)
本当にさ、失礼な話だけれど、優れた声質・発声法、高い歌唱技術で、完璧に歌ってくれる歌手がいても、全然魅力的に聞こえないことがあって……すごいのはわかるけど、私には、この人の”良さ”がわからないんだなと思うと切ないのですが、逆に言えば、私の心を動かしてくれる存在は、ちゃんと別のところにあるわけで、
説明できないという意味で曖昧模糊としておるのですが、ちゃんとあるんです。
出会えてよかった。
そういうものを大切にしていきたいねッ
かれこれ半年くらい、ぼんやり喉が痛くて、調子が良いとは言い難いもので、他にも生きていると良いこと悪いこと、毎日いろいろ起きるから、ベコーッと体調も気持ちも落ち込んでしまうことがあります。
(ここ数年は特に、原因不明の周期的に表れる不調に苦しめられておりまして……どうにかしたいんだけど、たぶん、年齢的な問題もあるから、時の流れに期待)
立ち直ったつもりでも、ちょっと足りてなくて燻っていたりしてね。笑
止まってる暇なんかないのに、考えちゃって身動きできなくなるよ。。。
しっかり進んでいかんとですね!
私の勝手だけど、まだまだ見たい景色や見せたい景色があるから。
ちゃんと自分の面倒見て、機嫌とって、元気に頑張っていくどー!ッ
ではでは〜
2024/10/07追記
独立した記事で書こうかと思ったけど、諄いから……でも、書いてしまったので、貼っておきます。
前提として、私は「歌声/音声合成ソフトは、音源提供者の文脈を無視して、クリエーター(ボカロPなど)がそれぞれの表現で自由に使っているのが自然である」と思っていたのだろうと、現時点での自分なりに答えが出ました。
例えば、同じ初音ミクでも、Pさんによって声が異なり、「〇〇さん家のミクさん」となるように、誰かのパートナーとして個々に、別々に、独立して存在しているものであると思いたいのです。
やはり、”本人の代用品”として使われているように見える状況は、生理的に受けつけないのでした。
(好きなアーティストだから余計だと思う……私の心の狭さよ、)
それは違うじゃん、あんまりじゃん、ってね。
合成音声は好きだけど、これは違うのよ。
意味のわからない話をしてしまって、すみません。。。
言ってること同じでは、と思われるかもしれませんが、自分の中でどの視点から見ているのかはっきりしなくて、ぐちゃっとしてしまって、混乱気味だったから、整理したらこうなりました、と。
自分なりに腑に落ちました。
異論反論のある人はいるだろうし、また別の視点ができたら自分の意見も変わるかもしれないけども、今はたぶん、こういうことだったんだと思います。
それこそさ、提供者と合成音声の文脈を混同しまっているのは、私自身で、客観的に、”全然知らないアーティスト”の話だったら、「面白そうじゃん」「新しい試みだね」「これからどうやって使われていくんだろう」とか、楽しみな話題として受け取れたかもしれません。
ショックだったんよ。
手術をしなきゃいけないレベルの体調不良だったと知って心配してるときに、「いなくてもライブできるんだ」ってコメントも見かけたりして、かなり動揺してしまったの。涙
ちゃんと、ゆっくり治して帰ってきてくれたらいいな
本当に、ゆっくりでもいいから、ちゃんと帰ってきてほしい
待っとるからね、
はいっ……この話終わりー!ッ
(誰の話かわからないよってなってる人、ごめんね。肯定的な文章書けそうになかったので、迷惑かけそうだから、明言しないことにしたんだ。特殊な状況だで、わかる人には、すぐにわかってしまっただろうけど、そうでない人に私の偏見から、その人のこと知られたくなかったの。でも、書いておきたかったんだ)