リアル・ジョージアにて〜山編その1〜
トビリシ空港からカヘティ地方へ向かう車窓の風景はビルが消え喧騒が遠ざかり、どんどん長閑になって、まるでタイムスリップしていくみたいだった。
前方の雲の上にそびえるコーカサスの山々には雪が残っている。集落の道沿いにはいくつか商店が点在しているほかは葡萄畑。ジョージアはワイン発祥の地(8000年前から作られていたらしい)とも言われ、特にこの地方は生産量が多くワイナリーもあるが普通の家でも葡萄を育ててワインを作りペットボトルに詰めて露店で売ったりしている。
道の真ん中で轢死体か?!と思うほど爆睡している犬、放し飼いの牛や豚もゆうゆうと道路を横切っていく。道端に置かれた椅子にはただボンヤリしたり、ゲームに興じるオッサンたち。のんびりを絵に描いたような風景だ。
途中、ショティという薄くて細長いパンを釜に貼り付けて焼くパン屋さんに立ち寄り、焼きたてを水牛のチーズとともに食す。うますぎ。ピロスマニの宴会の絵によく描かれている三日月状のものは(スイカの皮だと思っていたが)このショティだったのだ。それを実際に食べることができた、それだけでもう、めちゃ嬉しい。
その夜は有名なボドゥベ修道院や、その近くでNPOが運営する障害者福祉施設ケデリも訪問できた。
https://www.facebook.com/QedeliCommunity/
ケデリは28人の主に若い知的障害のある方が様々な活動をしながら暮らしている。みなさん見知らぬ東洋人を訝しむどころかハグと握手攻めで、めちゃめちゃ歓迎してくれた。
国内でも同様の施設はまだ少なく、障害のある人は家に籠る(籠らされる)か育児放棄される場合も多いらしい。メンバーは代表のゲラさん夫妻と数人のボランティアとともに木工、織物、編み物などのプロダクト作りをするほか畑仕事や料理など充実した日々を送っている。施設ではこの地方らしく葡萄栽培にも取り組みオリジナルのワイン作りを模索中、またこの抜群の眺望を楽しめるゲストハウス作りも進行中なのでいつかぜひ再訪して滞在したい。
翌朝はシグナギの博物館でピロスマニの作品を生で見てあらためて心打たれた後、パンキシを目指す。途中のグルジャアニという街でほぼ廃線(現在貨物のみ)の駅舎跡周辺のワビサビぶりや、まだまだ残っている旧ソ連のアパートやモニュメントを堪能。
そこの街の公民館みたいな所では偶然にもジョージアンダンス大会が開かれていて、ロビーで出番待ちの子どもたちと話したり、いくつかのチームの舞台を見ることができた。私は旅の後半にトビリシのレストランでジョージアンダンスのショーを予約してたのだが、孫のような子どもたちの一生懸命なパフォーマンスを見たらもうすっかり満足してしまいそっちはキャンセルを決めた。もちろんプロのダンスは全然レベルが違うだろうけれど、ここでの印象の方を残しておきたいと思ったのだ。
夕方、パンキシ渓谷・ジョコロ村のレイラさんのゲストハウスに到着。季節の花々が咲き乱れる美しい庭は映画で見た以上の楽園。レイラさんも満面の笑顔とハグで迎えてくれた。ああ本当にここに来たのだという感慨はあったのだがじつはこの時のことはほぼふわふわの夢心地であまり記憶がない。
日暮の村をぶらぶらする。どこかで勝手にたくさん草を食べた牛たちが家に帰るのとすれ違う。時間が100年くらい止まったまんまのようでむしろRPGの世界みたいだ。
自分はどこから見ても怪しいよそ者なので村人と会うととりあえず「ガマルジョバ」(こんにちは)と挨拶する。笑顔で「ガマルジョバ」と返してもらえることもあれば完全スルーされることも。こんなことが楽しい。
10歳前後の子どもたちのグループと出会った。日本のことは知らないようだった。レイラさんとこに泊まると言ったら翌日そのうちの2人がゲストハウスまで訪ねてきてくれた。私が(普段は絶対そういうことしないのに、こんなこともあろうかと)持参していたキティちゃんのマスキングテープをあげたら、キョトンとされた。キティちゃんもマステも初めて見たようで、このことに私は感動とともにほんのり罪の意識も感じないではいられなかった。2人ははにかみながら「ナスバムディス」(さようなら)と言うと全速力で駆けて行ってたちまち見えなくなった。
〜「山編その2」へつづく〜