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コンポーザーとプレイヤーの違い #1 新標準音楽理論のstructure

本業の話。
実は、音楽理論にてこの違いに触れてしっかりと区別して論ぜられたものが存在しない。

日本で普及しているほぼ全てのポピュラー向け音楽理論はプレイヤー向けのものだ。

実は極めて大きな違いが存在する。

プレイヤーは設置されたコード群に対し、いかに効果的インプロビゼーション(即興演奏)やリフを多彩に展開して演奏するかを考える。
調性内コード(Diatonic)であれば、key Major scaleと、対コードのアボイド位置の把握にてほぼ対応でき、少しアグレッシブなフレーズを奏でたければCenter Toneに対するApproach Toneのバリエーションを適時考慮すれば良い。
同コードsequenceに対し、多種多様なフレーズ展開を上記材料から構築させることができる。
また、それは反復練習による訓練にて「ポイント」が掴めてきて、概ね十分な時間を費やせばほぼ誰でもインプロビゼーションは可能になってくる。

ここまでは、対コンポーザー用音楽理論のstructureと大きな差異は無い。
大きく違うのはコンポーザーは、何百回と反復されても心を打ち続ける絶対固定された「メロディ」創作することが目的となる。

ここは議論になりやすいところだが、インプロビゼーションとコンポーズがどちらが難易度が高いか?
確実にコンポーズが難しいと断言できる。

訓練と、積み上げた「手癖」「キメフレーズ」の集積にてインプロビゼーションはかなり適応させることができる。
コードsequenceが何十回繰り返されようとも、いくらでもフレージングは可能になるが、何百回と反復されても心を打ち続ける絶対固定された「素晴らしいメロディ」の創作は想像を絶する心理的負担がかかる。

ありとあらゆる他メロディの可能性を考慮しつつ「これで決定」「メロディの確定」に至ることは、実に悩み考え不安も焦燥も混在する時間を費やすのだ。

もちろん、神が与えたもうた「至高のメロフレーズ」が天から降りてきて、一瞬で確定!となるような奇跡が訪れることもある。

しかし、その奇跡をいつも期待して待つわけにはいかず、創作の時には、常にメロディの試行錯誤を繰り返し続け、やがて来る確定の時(大体は締め切りという物理的制約がその大きな役目を果たしてくれる)を期待するというのがコンポーズの本質だ。

ここからが本題だが、その確定の時に向けて、大きな材料となるのが「音楽理論」だ。
実は、メロディ構築というのは「音楽理論」範疇には無い。
あくまでも作曲法になるのだが、この礎に音楽理論がある。

この時、大きな問題となるのが「日本国内に流布している音楽理論はプレイヤー向け」であることなのだ。

先ほど述べたように
プレイヤー:常にフレーズ変化を連続させるインプロビゼーション
コンポーザー:何百回と反復されても心を打ち続ける絶対固定された「素晴らしいメロディ」の創作
というように、実はその目的は対極にある。

にもかかわらず、概ね流布しているポピュラー音楽理論はインプロビゼーション用のみなのが現状なのだ。

簡単に言えば、固定されたコードsequenceに対し、いかにフレーズ展開を考えられるかをメインテーマにしているのが従前のポピュラー音楽理論群である。

これは、現在のアメリカではすでに異なる局面となってることは情報として入ってきているが、こと、日本においては全くと言っていいほど、従前のポピュラー音楽理論について根本的改変が加えられることはなかった。

今やレジェンドと言える著名なジャズサックスプレイヤーが1960年代にアメリカから持ち込んだ音楽理論(バークリー音楽大学のもの)から執筆された理論書が今でも金字塔的立ち位置で用いられている。
何度も繰り返しているが、これは「プレイヤー」向けの理論書群であり「コンポーザー」向けのものでは無い。

端的に言えば、フレーズを発散させるのがプレイヤー用理論であり、フレーズを収束させるのがコンポーザーに必要な音楽理論である。

では、コンポーザーに必要な音楽理論のstructureとは何か?
初めに述べたエリアから掘り下げると如実にその差異が必要になってくる。

次のパートにて詳しく論ずることにする。

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