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台湾旅行記【永和世紀豆漿大王】豆乳 切り干し大根玉子焼き 点心 #15

旅行中、知り合いから「切り干し大根の玉子焼きを食べて欲しい」と連絡があった。

調べてみると、朝市で見かけた謎の繁盛店が取り扱っているらしい。

店自体も気になっていたので、最終日の朝に早速向かってみた。

永和世紀豆漿大王
No. 16號, Wanquan St, Datong District, Taipei City, 台湾 103

豆屋なのか?

名前に圧倒される。
とにかくすごいんだろう。
行列は絶えないし、繁盛名店感はある。

工場みたい

とにかく働く女性の信頼感が凄まじい。
日本語メニューも用意があり、客捌きにワンランク上の商売魂を感じた。

相変わらず情報量が多い

結局雰囲気で選ぶしかないのだが、切り干し大根玉子の文字だけは予習していた。
加えて、この店の名物らしき豆乳と、食べたかったので小籠包と大根餅、安価な肉まんを注文。

無限揚げパン

香港で食べた揚げパンはとても美味しかったが、今回は脳内補完でパス。

出来立てそのもの!

丁寧な玉子焼き、その場であっという間に出来上がる。

菜脯蛋40元(¥200)【★★☆☆☆】
切り干し大根の玉子焼き
熱豆漿20元(¥100)【★★★☆☆】
温かい豆乳スープ

日本の朝ごはんとは全く別物

食べやすくカットされた玉子焼き、程よく出しゃばらない切り干し大根。
かなり薄味なので、レジ横のソースをかけるとちょうどいい。
これといった特徴が無く、言葉通りの品だった。

温かい豆乳スープは少し驚き。
朝らしい優しさ、ほんのり甘い。
他の店でも豆乳を置いているところは多いので、日本でいう味噌汁のような、絶妙な立ち位置なのだろう。
美味しくはあるのだが、そこまで心に残ったかというと、その日の気分による、くらいな印象。

蘿蔔糕35元(¥175)【★★★☆☆】
大根餅

調理場にあった、恐らく出来合いの大根餅

餅と大根を混ぜて焼いたようなもの。
こちらも想像通りの素朴なメニュー。
やみつきにはならない、朝らしい感じ。

肉包20元(¥100)【★★☆☆☆】
肉まん

蒸し立てではある

割ってみた感じ、恐らく出来合いのものと思われる。
どうしても包みたての手作り点心とは天と地の差が出来てしまい、手作りかそれ以外かで評価が分かれる。
ごく普通の肉まん、下手したら日本のコンビニの方がまだ脳に届くような味である。

小籠包70(¥350)【★★☆☆☆】

肉まんじゃないか

肉まんに加えて、小さい肉まんが出てきてしまった。
割ってみた感じ、こちらも手作りではなさそう。
スープ入りのものを想像していたのだが、これが小籠包らしい。

後から知ったのだが
台湾においては、中にたっぷりのスープが包み込まれているものを小籠湯包、スープを閉じ込めて調理する技術が無い場合を小籠包と区別している
とのことで、注文時に確認した方が間違いないことが分かった。

次こそ、スープいっぱいの小籠包を食べたい。

行列の絶えない人気店ではあったが、そもそも朝大量に捌ける、定番朝ご飯の店がそもそもあまり多くない。
ここは朝5時から開店しているらしいので、需要にうまくハマっているんだと思う。
しかし、商売としては真面目な店とは思った。
ひとまず食べたいものが食べられたので、満足!

さて、切り干し大根玉子焼きについて、ここに絶対に載せておきたい情報があるのでそのまま追記する。


実は沢庵入り玉子焼きのこと。
太平洋戦争の前、台湾は日本の領土でした
日本の学校があり、日本の企業があり、日本の飲食店があり、九州に良く似た場所だったといいます。
その後日本敗戦後に諸々ありましたが、世界で唯一!
沢庵入りの玉子焼きが食べられるのはたぶん台湾しかありません
日本料理と中華料理のフュージョンです。
ほんのりとした塩味が僕にはたまらない味なのです。
世界で唯一台湾にしか無い玉子焼きですよ(^^)


食べる前の情報(元超名点寿司屋大将)



食べた後のアドバイス(同大将より)


今から35年前、僕がはじめて台湾に遊びに行った時、とても親切にしてくれた台湾の老人が日本語で教えてくれました。
「私は日本人として生まれ、尋常小学校に通って日本人として育ちました。戦争に負けた後、当時中国共産党に押されて逃げてきた中国の国民党が
今日からここ(台北)が中華民国の首都であると宣言しました。

その日から私達の国語は中国語になりました。
良いですか!良く聞きなさい!
戦争で負けるという事はこういう事なのです。
自分達の言語や文化が無くなると言う事なのですよ!覚えておいて下さいね」

沢庵入りの玉子焼きはその方々の抵抗の味だという事を僕は下の世代の人達に伝えなければならないと思っています。

これを日本に戻ってから聞いて「歴史」とは、民族とはなんぞやと考えさせられた。

たった一つのメニューにもこんなに背景がある。
人間の「食う」とはここまで業の深いことだとあらためて噛み締めながら、これからも「食う」だろう。

食は音楽より深いから魅せられる。

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