禁断領域に踏み入る
物凄く共感させていただいた記事があったので、ご紹介したいと思います。
私もnoteで「ネタパクリ」をやられたことは、何度となくあります。そのたびに、秘かに怒り&苛立ちを滾らせております……。
現在確認できている範囲で、私の記事から時折「ネタパクリ」をやっているのは2名。
ただし、「下手なモノマネ作品よりも、確実に私の作品の方がクオリティは上」という自信があるのと、取り上げる事自体が自分の作品が汚される気がして、今まで我慢してきただけです。
本当に、高清水さんの仰る通りなんですよ。
私の場合、仕事で受ける案件とは異なり、noteでは地域色の強い記事や「専門知識(法律)」の知識をフル活用して書く記事も多い。
言ってみれば、紛れもなく、自分の足で稼いできたネタを使っているわけです。
にも関わらず、私の記事を取っ掛かりに、さも、「自分が気づきました」のように書かれたのでは、「ふざけんなよ」と感じるわけです。
そして、思うんですよね。
この手の「パクリ」に慣れてしまうと、恐ろしいことに、「自分で考える」のを止めて、どんどん視野が狭まっていく。
特に「自称プロ」の方は、私がその方を知った頃よりも、間違いなく文章の質が下がっています。
さらになぜか両者に共通するのが、「推敲しない」「感情の赴くままに吐き出した記事が中心」。
ちなみにこれでもWebライターですので、Googleの検索結果を参考にした上でSEO記事も書けます。勿論、納品記事のコピペチェックは欠かせませんし、参考サイトのペルソナの分析くらいは、お手の物。
ただ、SEO記事とは違うスタイルでも書きたいとの願望があり、note上でさまざまな「表現スタイル」を実験しているわけです。
そこでオリジナリティ・差別化を打ち出しているのに、安易に真似するというのが、もう何ともね。
そういえば、かなり前に「コンビニスイーツ」を扱った際に、「○○さんの企画を真似したのか」と言われたこともありました。
その時は何でそんなことを言われたのか全く分かりませんでしたが、今振り返ると、
記事の趣旨は、地元(福島)の特産品を使ったコラボメニューの紹介
→要するに、地元PRネタの一環コラボ相手が、たまたまコンビニだった
だけにも関わらず、「コンビニ」の文字だけに過剰反応したのでしょうね。
そして、自分自身が安易に他の人の「パクリ」「真似」をしたがる人だから、「企画を真似した」という発想にたどり着いたのでしょう。
そもそも、そんな企画があったことすら初耳でしたし。
使う素材は同じでもオリジナリティを出すことは可能
余談ですが、拙作(直違の紋に誓って)のキーワードは、「二本松」「戊辰戦争」(+西南戦争も少し)。
別のサイトで、同じ幕末の二本松藩を扱った小説を書いていらっしゃる方もいらっしゃるのですが、このテーマに取り組んだのは、その方の方が先です。
ワタシが執筆に着手したときは、まさか同じテーマを扱っている方がいらっしゃるとは思わず、かなり驚きました。
ですがその方の作品を拝読すると、相当に二本松の歴史を詳しく調べられていること、その上でそれぞれのキャラクターに愛情を込め、独自の世界観を作り上げられていることが伺えるのです。
現在では一ファンとして交流させていただくことも多く、私の中では、共に「地元を愛する」仲間という認識です。もちろん、喧嘩になったこともありません。
多分、これが一般的な「同じジャンルの人同士での交流」だと思うんですよ。
同じ素材を用意されても、和食と洋食くらいの違いがあるというと、イメージがつかみやすいでしょうか。
どちらが優れているというのではなく、それぞれの持ち味があり、比較すること自体がナンセンス。
人の真似をしたがる人って、こういう感覚がわからないのでしょうね。
共感力の乏しい人に何を言っても無駄
先日、PCの整理をしようと思い過去の「Webクリップ」を検索していたら、クリッパー機能を使って保存していた記事が残っていました。
残した日付は昨年の4月ですが、よほど腹に据えかねていた&我慢していたのでしょう。
当時の自分の心理が、手に取るように分かります。
中でもこの記事の、
無神経で思いやりが足りない
自己愛が強く他人に興味がない
自己顕示欲が強く負けず嫌い
目的の為には手段を選ばない
思い通りにならないと拗ねる
などの見出しの記事は、本当に実体験として見覚えのある事例ばかり。
これらに加えて、いわゆるアイデアの「真似っ子」までされていたら、たまったものではありません。
法律違反ではないかもしれません。さすがに「法社会学的」には確実にアウト。
そもそも、自分から喧嘩を売った結果としてとっくに縁を絶たれたにも関わらず、しつこく粘着して「自分をイジメないで」という趣旨の投稿を繰り返す(約1年)事自体、意味不明ですし、本当にうざい。
そんな暇があったら、自分の作品の質を高める努力をしたらいいんですよ。
自ら喧嘩を売った人は、喧嘩相手に「お願い」する権利などない!
というのは、過去記事でも書きました。
というわけで、近々「有料記事」の販売に踏み切ります。
下書きはとっくに出来ていて、無料部分だけでもちゃんと価値を持たせたものです。
クリエイター名は出していないので無料でもいいのですが、特定のジャンルが出てくるため、有料記事にしました。
正直、過去1度しかやったことのない有料記事の販売に踏み切るかは、1年間悩み続けました。
ですが、繰り返し「自分がやったことの開き直り」とも取れる投稿をされたのでは、いい加減、堪忍袋の緒が切れるというものです。
法律用語でいうところの「受忍限度」は、とっくに越えていますしね。
こんな投稿をされて黙っているほど、お人良しでもはないですし。
同じジャンルの人が身近にいれば、競いたくなるのは当然
こんな自分を認めてくれる人もいる
あくまでも被害者は自分であり、ずっと虐められて苦しんでいる
これらの言い分を一方的に述べるだけでなく、私に「アンチ投稿を止めてください」とのお願いを、暗喩的に投稿しているという身勝手さ。
何で一方的に私が一方的に「信者扱い」され、今でもそれを受忍してくれると思うのでしょう。
そもそも「アンチ」で切って済ませようという安易な発想が、自分が「そういうことをやってきた」と白状しているようなものです。
共通フォロワー様が何人もいらっしゃることから、クリエイターの特定につながる情報をアップしたときに、彼等・彼女たちがどのような思いをされるか。
それも「有料記事」の公開を、最後までためらっていた理由の一つでした。
ですが恐らく一部の方々は、誰を指すものか薄々気づいていらっしゃったと思います。
それでも今後の付き合いをどのようにしていくかは、その方々自身が決めること。
皆様大人ですから、その方々の思慮分別を信じようと思うのです。