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兵どもが夢の跡

散々投稿したくせに、まだやるんかい?と言われそうですが😅
本日最終日ということで、どうしようか迷っていたのですが……。
海外ネタも、どうしても使いたかった!
そんなわけで、リライト版ではありますが、やっぱり投稿してしまいます!
他の参加者の方々、お気を悪くしないでくださいね🙏
※下記の投稿のリライト版となります。情報を2月の時点より多めに入れました。

カンチャナブリー・ナントック編

まずは、バンコクトンブリー駅より。

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この路線、観光路線にも関わらず1日2本しか列車がありません(苦笑)。
そのため、車体はご覧のようにボロ(失礼!)にも関わらず、結構混み合っていました。

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目指すのは、国境の街、ナムトック駅です。

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ところで、途中駅で「カンチャナブリー」という地名がありますね。
さすがに、私の年代でも知らない人も多いかもしれませんが、かつてはクワイ河がビルマとタイの国境であったらしく、第二次世界大戦中はタイは東南アジア諸国の中で日本側に付き、隣国のビルマ(現ミャンマー)はイギリスの支配下に置かれていました。
そのため、国境となったクワイ河(当時の呼称はメークロン川)では激しい攻防があったようです。

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で、戦時中の橋がまだ残っていて、これが「戦場に架ける橋」です。戦後もまだまだ現役って、すごいですよね。

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もっとも、列車ではなく船で渡ることもできます。

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ミャンマーとの国境に向かって、列車はひたすら走ります。確か、この橋桁も当時のままだったような……。
泰緬たいめん鉄道は戦時中日本軍の重要な輸送経路でしたが、こんなジャングルの中で戦闘状態になるって、想像ができませんね。
多分、泰緬鉄道の見どころのアルヒル桟道だと思うのですが。
よく見ると、左側がすごく切り立った崖ですし。

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今ではこんなのんびりとした風景が広がりますが、戦時中は過酷な戦地だったのでしょうね。
もっとも、途中に麻畑とも大麻畑ともつかぬ畑が延々と広がっていて、ギョッとした覚えもありますが😅
(私見ですが、多分大麻の方。タイは黄金の三角地帯の一角として有名ですしね)

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……。
物騒な話を失礼いたしました。
とにかく、その怪しげな畑も次第に影を潜め、列車は更に国境を目指します。

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終点のナントック駅。
えーと、国境らしい賑やかさなどは皆無ですね😅
お昼も期待していたようなものはなく、観光客相手に立売の駅弁(軽食?)を売りに来た子供たちからご飯を買い、そのまま折返しとなりました。

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帰路については、特筆することもなかった気がします。
何せ、往復でこんな固い木の椅子で、冷房なしで出かけましたからバンコクに戻ってくるまで、寝るにも寝れなかった思い出が😅

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◇◇◇

アユタヤ編

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また、在タイ中に古都アユタヤにも足を運びました。やはり鉄路で行きましたが、カンチャナブリーのときと違い、こちらはフアランポーン駅からの出発。
冷房が効いているちょっといい車両だったと記憶しています。

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アユタヤというと、歴史の教科書で下記の写真を見たことのある人も多いのではないでしょうか。
タイの日本人町を築いた人物として知られていますね。

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で、ここからはほぼ垂れ流し😅
多分、訪れたのはワット・プララームと思われます。

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何でこの遺跡を訪れたんだろう?とちょっと自分でも疑問だったのですが。
(実は、観光スポットとしてはマイナー)
どうやら、初代建国のウートン王の葬儀が行われた場所ということで、当時のアユタヤ朝の勢いを感じてみようとか、そういう意図だった気がします。

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それにしても、ビルマ軍。
破壊するの大変だったでしょうね。
←感心するのが、そこ?というツッコミが来そう(笑)。
だって、確かレンガ造りですから、どっかのお殿様みたいに「焼き払え」というわけにはいかなかったでしょう?

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それにしても。私の身長、大体160cmくらいなのですが、私と比較しても巨大な遺跡だと思いませんか?

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エレファントライドにて。
下記のサイトで見つけたのですが、家の2階くらいの高さがあるそうで。
それなのに、不安定な王様椅子?に座らせるって、結構な無茶ぶりではありませんか😅?

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さらに、私の乗ったゾウさんは、明らかに他のゾウさんと比べて速歩トロット
想像してみて下さい。
2階建ての四方が吹きさらしの家が、速歩で動く様を(;・∀・)

きっと、高所恐怖症の私でなくても、怖かったと思います。

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と、ここまで書いてきましたが。
15年ほど前の話で、トンブリー駅もかつてのターミナル駅としての機能を失い、フアランポーン駅も、日本で言うならば上野駅のような役割を、バンスー中央駅に譲るようです。

今後私がタイを訪れるかは不明ですが、わずか15年でこれだけ変化してしまうんですね。
本当に、松尾芭蕉の「おくのほそ道」の一節を彷彿とさせられます。




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