文字なら続けられるかもしれない。

はじめまして、大阪で主に活動してるオルタナティブロックバンドNitoeL(ニトエル)でボーカルをしております。
岸と申します。
自分はあまりジャンルに明るくないので、メンバー曰くオルタナティブロックバンドらしいです。
結成してから4ヶ月と少し、ようやく少しずつボーカルとしての振る舞いがうっすら輪郭程度に分かってきたような……そんな有様です。

元々、役者になりたくて専門学校を卒業しました。
在学中も演劇公演を一本、企画・演出・脚本・出演・グッズ制作と自分の容量を知らないのかという具合に行ったり、心優しい同級生からMCをさせて貰ったりと着実に役者への憧れを積み重ねておりました。
実際に卒業してからの役者としての活動は2年程。
良いことも悪いことも色んな事がありました。
それについては多くは語りませんが、人生における大きな糧にはなりました。

2年の中で深く考えることはいつも一緒。
どうすればもっと自分の幅を広げられるのか。
未だ正解は見つかりませんが、手探りの中で思いついたのがバンドを組む事でした。
バンドを組むと決めた時に周囲の知人皆に言われたことが「意外」やら「どこに向かってるの?」でした。
どこでも良くない?と正直思ってしまう私が居たのですが、これに関しては自分の本音を人に知られることが苦手なので上手く説明出来ない八つ当たりに近いです。
本音を言わないことに関してはメンバーからも偶に怒られるので治したい部分ではあります。

話を戻して、自分の幅を広げるためとは言え、バンドを始めた理由。
元々歌うことが好きでした。
バンドも実は中学生の頃からやりたかった。
でも、当時の自分にはバンドをやるだけの度胸はありませんでした。親に反対されたらすぐに引いてましたし。
今にして思えば、反論出来るほどの気持ちが当時は無かったんでしょうね。
でも、役者としての経験を経て、もっと人前に立ちたい、自分の出来ることを増やしたい、好きになって欲しい、色んな欲というか気持ちが産まれました。
自分が思うばっかりで何もしなければ、当然どうにもなりません。
じゃあ自分の活動範囲を広げよう。
そんな考えが元々の始まりでした。

そうして、元々信頼のおける友人である、ギターの光稀に声をかけ、光稀がベースの椋太を連れてきてくれ、椋太がドラムの翔梧を連れてきて産まれたのがNitoeLです。
人と人との繋がりバンドですね。
本当に私は運が良かったのです。こんなトントン拍子に話が進むことなんてないですし。

とはいえ、他のメンバーは音楽に触れてきた年数も密度も私とは比べ物にならないので必死に追いかけている状況ではあります。

そんなNitoeL、知って欲しくて元々やっていた配信なんかを継続しようかとか思っていたのですが……どうにも自分は1人で話すことが苦手で……それならば文を書こう、そう思い立ちnoteを始めることにしました。
何卒よろしくお願いいたします。

まぁ、きっとほぼ日記になると思います。

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