DSB月誌 vol.21 函館の赤レンガの謎
月誌ですねー、ネタがなかったので大分前に函館に行ったときのことを書こうかなと思います
函館の赤レンガに潜む謎
函館出張の次の日、時間があったので軽く観光して帰ろうと思い、着の身着のまま駅近くから出発しました。(五稜郭公園行ったことなかったので行こうかなと思ったのですがさすがに距離あったので断念)
中学校の修学旅行あたりで函館は訪問済みで、断片的には覚えていたのであまり新鮮さもなく、赤レンガ方面へ向かいました。
懐かしき摩周丸?休館してた
各地点にハザードマップ。海沿いのまちづくり面白そうだけど大変そう
赤れんが到着
正式には「金森赤レンガ倉庫」
あー、こんな感じだったかーと思いながら、散策。
赤れんが前のラッキーピエロおしゃれ
赤れんが倉庫を作った渡邉熊四郎さんの元洋品店。
いまは資料館となっていてささっと見学。
八幡坂もちらっと。
赤れんが倉庫周辺の観光名所をさらっとさらえて、見るところもなくなったので再び赤れんが倉庫へ。
そこで、「おや・・・?」と発見したのがこちら。
駅側のほうのれんがに違和感が。
途中かられんがの積み方が変わっていたのです。
下は、「長辺・短辺・長辺・短辺・・・・」で積み上げてるが、
上は、「長辺・長辺・長辺・長辺・・・・
短辺・短辺・短辺・短辺・・・・」という積み方になっています。
この謎を解明するため、探索を始めました。
探索開始
まずはマップを確認。写真でもよくよく見ると、手前2つはちょっと作りが違っていて、名前も「BAYはこだて」でした。
この倉庫付近は「伝統的建造物群保存地区」として、昭和63年に制定。
隣の6棟の金森倉庫は、
「長辺・長辺・長辺・長辺・・・・
短辺・短辺・短辺・短辺・・・・」の積み方。
倉庫内の資料写真や、解説展示を物色。昔の地図を発見し、BAYはこだての場所は、もともと日本郵舩會社(日本郵船)の倉庫であった模様。
そして、明治40年ごろに函館大火があり、ここ一帯が燃えたことが発覚。
そして、明治20年代の倉庫群の写真が。こちらの説明書きから
「全部で6棟の金森倉庫は明治40年の函館大火後のもの」
であることがわかった。
ということは、
・金森倉庫側の積み方は、新しい積み方なのでは
・BAYはこだては、下は焼け残っていて、上に追加で積む形で立て直した?
こうやってみると、ぜんぜん雰囲気が違う。
そして、最終的に・・・
市立函館博物館郷土資料館(旧金森洋物店)に再びたどりついたのであった。
結論
ここの解説員さんとお話しし、結論として、
・金森倉庫は建て直ししているので、積み方が違う。
・長辺と短辺を別々に積んでいくのが「イギリス積み」、交互に組み合わせて積んでいくのが「フランス積み(フランドル)」らしい。
・「イギリス積み」のほうが、施工の早さ、強度的に優れていたらしい。ただ、「フランス積み(フランドル)」は見た目がとても優雅でおしゃれにみえるのはよいよねという。
・BAYはこだてのほうはやはり後から上に積んでるみたい。
BAYはこだての手前のレストランの壁。これももともとは倉庫で、いまはそのまま生かし、壁として利用しているらしい。これも上はイギリスだね
資料館もれんがでできてて、積み方はイギリス積みなんだよー、と教えてもらった。壁の一部をはがしていて見ることができた。
しかも、れんがは函館で作っていた「函館煉瓦」というもので、刻印があることも教えてもらった。倉庫群のところにもあるらしい。
(これもちょっとしたことなんだけど、資料館の裏手に空き地があり、その奥にも、れんがの塀があって、もしかしたら裏の空き地も洋品店の倉庫だったのではないかということもこっそり教えてもらった。資料がないロマン)
謎を解明したところで、帰りの時間が迫っていたので急いで駅までもどる。
その道中で、、、
何気なくいきに通り過ぎてたラビスタ函館ベイの塀もれんが。そして
「函館製造」「明治7年」
ここも、古くの倉庫跡を現代の建物と融合させている素敵なところでした。
ということで、楽しい時間を過ごせました。
歴史探訪はおもしろい!
後日談)
道庁赤れんがに行ったときに、「そういえば積み方は!」と思って確認してみました。
時代のタイミングとかもあるとは思いますが、やはりこの積み方が、魅せる建物には似合いますね。素敵でした。
ということでギリギリセーフ(?)。