各国の空気感がひしひしと伝わってくる旅のエッセイ
息をするように旅をする。
旅をすることが、自分の中の本能として、プログラムされているんじゃなかろうか、というぐらいに、本当に旅が好きなんだなと、感じさせられた。
旅に行くと決めてから、実際に空港で飛び立つまでに不安にかられたりするし、何十回と旅に出ても未だに旅慣れしない、ともいっているし。
それでも旅することをやめない、それが自分の一部だから、みたいなものを感じて、とてもかっこいい。
旅って人を魅了にさせる何かがあるんだろうなと、感じずにはいられない。
ぼくも旅をしてみたい。
国内旅行にはほとんど行ったことがなくて、海外旅行もほんの何年か前に 1度行ったきりで、そのあとはご無沙汰である。
しかし著者の体験記を読む中で、果たして自分はこんな濃密な旅をする気概があるのだろうかと、はたと考えさせられた。
道も整備されてなくて、交通も不便で、片言の英語なんて喋れないし、英語さえも通じないようなところで、体当たりで飛び込んで、
観光客向けでない、現地の人が集まるような (格安の) 食事処に行き、ハエが飛び交うような中で食事をし、
いかにも貧乏旅デスみたいな服装で行動し、現地の人と仲良くなっていろんなところに連れて行ってもらい、
もしかしたら命を取られるんじゃないかとか、危険な目にあうんじゃないかとか、お金を取られるんじゃいかとかいろいろ気がかりを抱えつつも、
そこで暮らす人々、環境、文化、生活などに浸りたいと、そこまでのことを体験したいのかと、本気で考え込んでしまった。
もしかしたらぼくは、もっと居心地のいいものしか求めていなかったのではないか、と感じずにはいられないからだ。
ここを見たい、あそこを見たい、あの場所にいってみたい。
それはその国で有名とされている観光名所や、ガイド雑誌で特集されている「今見どころ」のスポットだったりとか、巷で人気の場所だったりとか、どんな人でも知っているような場所に赴くことを「旅行」というのだと、ぼくの中での個人的な定義として捉えている。
対して「旅」とは、有名所だけを周るのではく、その国の空気、生活、匂い、文化、歴史、人など、短期間ではわからないような、表面上をなぞっただけでは得られないような、その国の「深部」を垣間見るために訪れるものだと思っている節がある。
なぜそんな大層なことを旅に求めているか、自分でもわからない。
だけど「旅行」と「旅」の間には、決定的な何か隔たりがあるよう思えてならないのだ。
著者の旅には、濃密さがある。
そして旅に対して持論を持っているぼくが、その濃密さではなく、旅行をしたがっていたのではないかと、気づかされたのだ。
と同時に、これこそ追い求めていた旅のなんたるか、をまとめた体験記であると、生の声であると、興奮したのである。
「その年齢にふさわしい旅があり、その年齢でしかできない旅がある」
この文を読んで、「あぁ大事な時期にしかできない大事なことを、しそこなってしまったのかなぁ」と身につまされる。
もうこれ以上機会を逃したくはないと誓うのであった。