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リーリエ国外伝3 「おとぎ話が終わっても」 前編 

 ――鏡のなかに花嫁がいる。
 
 立ち姿は白百合を思わせた。
 真珠がきらめく襟元から、最高級の純絹じゅんけんがふわりと広がる。清らかな光沢を彩るのは、リーリエ国章を描いた繊細なレース。マルモア国でも指折りの縫製業者が、技術とぜいを惜しげもなく使ったドレスだ。
 花嫁の顔立ちは愛らしい。青海あおうみ色の目と、その海ではぐくまれた桜貝のような唇。黒髪は結いあげられ、銀糸を織りこんだベールで包まれる。頭上には、水晶の王子妃冠が恭しくせられるーー
 着付け役の女官たちが、ほう、と溜息をもらした。
 第七王子ラントフリートの婚儀のために、〈銀花の城〉ラルジャン・フルルからきた数名の女官。
 
「お美しゅうございます……」
「ああまるで、鈴蘭の妖精のような……」
「ラントフリート王子殿下も、さぞお喜びになることでしょう……」

 賛辞を口にし、とがり帽子をのせた頭をさげる。

「ありがとうございます」

 ニナは微笑んだ。
 控室の椅子に座り、鏡に映る自分を見やる。
 鏡のなかの花嫁はたしかに美しかった。豪華なドレスも王子妃冠も、まるで物語から出てきたように綺麗で、そして――

 ――わたしじゃないみたいです。

 花嫁となった己へのニナの感想は、まずそれだった。
 娘らしい嬉しさや、大好きな人と結婚できる喜びはもちろんある。けれど花嫁には似つかわしくない、そんな気持ちを抱いてしまったのは、これがニナが想像していた結婚とはかけ離れていたからだ。
 〈出来そこないの案山子かかし〉と呼ばれていたニナでも、村の教会でおこわれた結婚式を見て憧れることもあった。小さな自分を馬鹿にしない、優しい青年と結婚できたらいいなと。その希望は、当時のニナがまったく予想していなかった形で叶えられた。
 ニナがいるのは大聖堂の控室だ。
 リーリエ国王都ペルレより西の地にある、故王妃シルヴィアの弟公爵があずかるラクリモサ城。王領地おうりょうちであるこの城には、国内で三つしかない大聖堂がある。
 王族の結婚は本来であれば、銀花の城の大聖堂でおこなわれるが、リヒトが庶子であること、また病気がちで静養中の男爵家令嬢ニナ、の公的な状況にあわせ、郊外での挙式となった。ニナは数日前に男爵一家とこの城に入り、挙式当日の今日は早朝の鐘より、大聖堂の控室にて準備にかかっている。

「まあ、こちらの衣装箪笥だんすは国王ハインリヒ二世陛下から!」

 興奮の声があがった。
 花嫁の控室は着付け用の部屋と、親族用の広間からなる。
 内扉うちとびらの向こうに見える広間には、持参品としての宝飾や目録、さまざまな贈り物が置かれている。参列者にそれらを披露することは、婚家の財力を示す慣習だ。広間にはこの地の領主である公爵家や、シュナイザー男爵家に連なる夫人たちが集まっている。

「キントハイト国の王都ヴォルケ・ラヴィーネの近郊にある、王家の森にて伐採した杉材で制作しました。の森の木々は本来であれば、〈荒野の城カリュプス〉で用いられる家具にのみ使われますが、新婦ニナが我が国で静養した縁より、下賜かしの栄誉をいただきました」

 悠然と告げたのはキントハイト国内務卿ないむきょう夫人カテリーナだ。
 昨年にニナが遊学したさい、荒野の城での礼節などを教えてくれた老貴婦人。ニナの養母シュナイザー男爵夫人はカテリーナの姪にあたる。結婚のさいは両家に親族代表が立ち、花婿であるリヒト側は叔父公爵が務める。それにそくした身分ということで、カテリーナが新婦側の親族代表として、婚姻にまつわる委細を仕切っている。
 精巧な工芸品のような衣装箪笥を前に、夫人たちは、まあ、なんと素晴らしい、と感嘆の声をあげる。カテリーナは老いてもなお美しい手を、近くの長机へと向けた。
 陳列された品々を、順番に指し示していく。

「こちらの琥珀こはくはキントハイト国騎士団長から。ええ、寵姫アマリアさまの弟君たるアルヴィス侯爵です。琥珀のなかでも光を受けると青色に輝く希少品で――」
「これはナルダ国王夫妻より賜った帆船の権利書です。三本の帆柱をそなえた大型船で、船首像の女神マーテルに弓の装飾をあしらった――」
「シレジア国王家からは、巻貝を模した水宝玉すいほうぎょくの杯を贈られました。〝海の水〟を意味する水宝玉は、彼の国の王冠に使用され、乾杯すると澄んだ水のごとき音が――」

 カテリーナの口調はよどみない。
 目と同じ藤色のドレスをまとう長身は、長旅の疲れをちらとも感じさせず、荒野の城にて列席者に応対していた如才じょさいなさを思わせる。一族のなかでも年長のカテリーナは、この手の代表を務めた機会が多いのだという。
 再会の挨拶をし、大役を引き受けてくれたことに感謝したニナに、無駄に年をとったおかげですねと笑った。豪華な持参品に恐縮したニナに、一族として当然のことだ、とうなずいた。
 花嫁は持参品をたずさえるのが慣例だけれど、リーリエ国王家に失礼のない品々を、地方貴族であるシュナイザー男爵家が用意できるはずもなかった。家畜や農具を主な持参品としている、ツヴェルフ村に住む実両親とてそうだ。もっとも実両親にはもう、書類の上では他人となったニナに、持参品を用意する義理はないのだけれど。

 ――父さん……母さん……。

 うつむくと、流れたベールが暗い表情を隠した。
 女官たちは着付けの最終確認にうつっている。
 レースのひだの一つ、布に縫いこんだ飾り石の一粒まであらためられながら、ニナはここにいたるまでのことを思いだした。

 ――ごめん!

 銀花の城に結婚の許可をもらいに行ったあと、リヒトはニナに謝った。
 結婚するためには男爵夫妻の養女になる必要があるのだと、予想もしなかったことを告げられ、ニナはすぐにうなずけなかった。ただ苦悩を顔に浮かべたリヒトの姿に、見あげるだけだった王城に己も足を踏みいれるのだと、漠然と不安を感じた。
 
 ――王子と村娘の結婚は、きっとニナが考えている以上に難しいことがあると思うわ。困惑することもおどろくことも、自分を押し殺して受け入れることも。
 
 昨年末に訪れたナルダ国で、王妃ベアトリスはニナにそう告げた。
 リヒトとの結婚を喜びながらも、先々に起こることを見すえていたように憂慮した。
 村娘が王子と結婚する――誰もが夢見るおとぎ話が、本当におとぎ話だったのは船旅までだ。ナルダ国からシレジア国に船で渡り、リヒトの母の墓や灯台岬とうだいみさきに結婚報告をした数日間だけ。リーリエ国に帰国し実家への挨拶で、リヒトの身分をあかされた両親が顔を強張らせた、あそこからが現実になった。そうしてニナは一カ月もしないうちに男爵家の養女となり、本日、リーリエ国の第七王子妃になろうとしている。

 ――まさか自分がこんな形の結婚式をするとは思っていませんでした。シュナイザー男爵のおはからいで、父さんと母さんは一般客としての参列が認められましたが、本当にこれでよかったのでしょうか。

 ニナはベールの内側で唇を結んだ。
 いまさら引き返せないことはわかっている。けれど花嫁として身支度をととのえながら、そばに両親がいないことが、あらためて心細い気がした。
 そんなニナの気持ちを、本来なら分かちあうべきリヒトとは、深く話せないまま当日となってしまった。ニナが男爵家令嬢として第七王子妃となるのは、リヒトにとっても想定外だった。マルモア国一の縫製業者である、同国騎士団員〈黒髪〉の実家に依頼しておいた花嫁衣裳をはじめ、リヒトはひそかに結婚準備を進めていた。しかしながら騎士団員としての結婚と王族としての結婚は、会場も列席者も式の進行も、なにもかもがちがう。
 したがってリヒトは叔父公爵の指導のもと、リーリエ国第七王子ラントフリートとしての挙式の準備に追われ、慣例によりニナとは三日前から会っていない。

 ――広間の扉があいた。

 一礼した従僕が入ってくる。
 カテリーナに歩みよると、耳元で何事かを告げた。
 うなずいたカテリーナは着付けの女官たちに進行をたずねる。ちょうど完了したとの言葉を受け、夫人たちを見まわした。

「〝南部の参列者〟がお見えになり、前庭もいっぱいになってきたようです。王子妃殿下もそろそろ礼拝堂へ向かわれる時間です。親族の方々におかれましても、ご移動をお願いいたします」

 ――南部の参列者。

 ニナは、はっとした。
 おおやけにはすることができない、ニナの両親がラクリモサ城に到着した知らせだ。
 直接の対面はかなわないが、挙式に先だって両親の姿を確認させてもらえることになっている。反射的に立ちあがると、厚底靴あつぞこぐつが揺らいで体勢を崩した。すんでのところを女官たちに支えられ、ニナは、す、すみません、と頭をさげる。
 王子妃冠から流れるベールがずれて、隠されていた顔がちらりとのぞいた。
 控室をのぞきこんでいたカテリーナは、潤みを帯びたニナの目に気づくと、ふむ、という表情で片眉をあげた。

 ◇◇◇

 大聖堂は礼拝堂の東西に塔をそなえている。
 廊下に出たニナはカテリーナの先導のもと、西塔に入った。女官たちにドレスの裾をもってもらい、螺旋らせん階段を上階の踊り場まであがる。
 カテリーナは遠望鏡えんぼうきょうをポケットから取りだすと、前庭を一瞥いちべつして告げた。

「ここからなら招待客が見えます。先ほど到着した〝南部の参列者〟は受付をすませ、左手へと案内されたそうです」
「あ、ありがとうございます」

 ニナは遠望鏡を借りうける。
 王子妃冠から流れるベールを女官たちにあげてもらい、遠望鏡を眼下へと向けた。
 大聖堂の大扉までつづく道には、濃紺のカーペットが敷かれ、左側には新婦の、右側には新郎の関係者が集まっている。左手に遠望鏡を向けたニナだが、参列者の数は数百人をこえ、色とりどりの礼服をまとっている。なかなか見つからず頼りなく動いた遠望鏡が、やがてとまった。

「――あ」

 ニナは声をあげた。
 青海の瞳を喜色に輝かせ、しかしすぐに眉をよせる。

 ――父さん、母さん……。
 両親は参列者たちの後方にいた。
 服装は新調したての晴れ着で、村人たる素性を思わせないほどに豪華だ。しかし気慣れない衣装と場所そのものに緊張している姿は、あきらかに浮いていた。飲み物を勧めた従僕に大仰な礼をした父親に、近くの老貴族が奇異の視線を向ける。母親は隣の貴婦人とドレスの裾がぶつからないよう、立つ場所をなんども変えている。

「……っ」

 ニナは遠望鏡をにぎる手に力を入れた。
 騎士としてのニナを諦めていた両親は、〈少年騎士〉となったニナを自慢することはなかった。自分たちの過去の認識を悔い、成長をただ見守ってくれた。王子であるリヒトとの結婚も、そのために男爵家の養女になることも、おまえの幸せが一番だからと、うなずいてくれた。
 あったはずの光景がふと浮かぶ。高台の教会で村人の拍手に包まれ、アルサウの大剣にて祝福を受ける。家畜や農具などの祝いの品が新居に運ばれ、広場では夜どおし宴会がおこなわれる、素朴な結婚式。その中心になるはずだった両親を、参列者の隅に追いやったのはニナの決断なのだ。
 遠望鏡のなかの両親がゆがんだ。
 涙がこぼれて落ちた。
 気づいた女官たちが、王子妃殿下、と声をあげた。

「あ……」

 ニナは、はっと顔に手をやった。ここで泣いたら化粧が落ちてしまう、婚礼衣装を汚してしまうと思ったけれど、あふれた涙は止まらない。
 カテリーナは肩をふるわせるニナを見おろすと、女官から化粧直し用のかごを受けとった。花嫁はこれから大聖堂を出て馬車にのり、城壁の外をまわって、参列者が集まる前庭に移動する。馬車を待たせるようにと伝言を頼み、女官たちをさがらせた。
 ひそやかな足音は階段の下方へと消えていく。
 カテリーナはハンカチを取りだすと、ニナの目元に押しあてた。化粧を崩さないよう慎重に、こぼれる涙を吸いとっていく。

「も、申しわけありません」

 ニナは涙声で謝った。
 キントハイト国内務卿夫人カテリーナは、同国でも権勢を誇る重鎮じゅうちんだ。夫ベルケルともども国王ハインリヒ二世の知己として、王家の秘密にも深く関わっている。そんな彼女が高齢の身をおしてリーリエ国までおもむき、リーリエ国王家に対してふさわしい持参品をととのえ、親族代表として諸事をこなしてくれた。過分な厚意を受けながら、このように迷惑をかける己に情けない気持ちになる。
 てきぱきと処置をするカテリーナは、切れ長の目をふと細めた。

「……己を責める必要はありませんよ、ニナ。この程度の手間、我が国があなたを利用・・させていただくことを考えたら、おつりがくるというものです」
「利用……」

 思わぬ言葉に、ニナは困惑してくり返す。
 カテリーナは白粉の壺をとった。小さな刷毛はけに粉をふくませ、ニナの顔にのせながらつづける。

「王太子フランツ殿下が弓射された、王家の森での事件を解決に導いたあなたは、我が国の恩人です。感謝の気持ちに偽りはありません。ですが他国の男爵家令嬢に、国王陛下からの下賜品は、さすがに前例がない」
「前例がない……な、ならばなぜ?」
「ですから利用です。あなたも遊学中に、わが夫内務卿が王太子フランツ殿下の妃を国内貴族から探している、との噂を聞いたことかと思います。あれは嘘です」
「嘘……」
「有力な外戚のいない王太子殿下には、やはり他国の王女が望ましい。けれど大々的に動けば、政敵である三公爵さんこうしゃくらの妨害を受けるでしょう。そこへもたらされたのが、あなたがシュナイザー男爵家令嬢として、リーリエ国の王子妃となる、との吉報です」

 カテリーナは薄紙で余計な粉を落とし、べにを手にする。
 ニナはうかがうように問いかけた。

「リーリエ国王家の一員となったわたしを仲立ちに、王家と関係を深めたいということでしょうか……あ、もしかして、宰相閣下の王女を、フランツ王太子殿下の妃に望まれているのですか?」
「ええ。次代のリーリエ国王たる宰相閣下の王女なら、これに勝る良縁はありません。三公爵の目を盗むため、リーリエ国王家と縁続きとなったあなたを、存分に利用させてもらうつもりです。破格の贈り物も持参品も、つまりはその対価。ですので謝罪は無用。堂々とわたくしをこき使いなさい」

 上を向くように告げられ、ニナはあごをあげた。
 紅が唇をいろどるのにまかせて考える。
 キントハイト国王太子フランツは、ハインリヒ二世の唯一の子とされているが、有力な外戚はいない。そのため王位継承権を持つ三公爵らは、次代の王冠を競いあっていた。フランツが他国王家と密接な関係を持たないよう、外務卿がいむきょうが裏に表に邪魔をしているとも聞いている。そんな心許ない立場のフランツにとって、堅実な施政に定評のある宰相アルベルトの王女は、願ってもない妃候補だ。

 ――将来の縁談にむけての布石という意味を考えれば、わたしへの過分な対応も納得できます。フランツ王太子はイザーク団長の甥ですし、さまざまな恩義を返すためにも、できるだけ協力ををしたいです。リーリエ国にとっても西方地域の雄たるキントハイト国と関係を深めることは、国情の安定につながります。両国の将来がかかっている、責任重大な役目です。
 紅を木箱に収めて、カテリーナはふっと鼻を鳴らした。

「……やはりあなたは〈騎士〉ですね」
「え」
「落ちついたようでなによりです」

 ニナは、あ、と声をあげた。
 気がつけば涙はとまっている。国の将来に関わる役目について説明され、〈花嫁〉が抜けて〈騎士〉に戻っていた。
 カテリーナはすまし顔で化粧道具を片づけている。
 みっともないところを見せたうえ、巧みな手腕で動揺をおさめてもらった。ばつが悪い気持ちになると、カテリーナが薄く微笑んだ。

「恥じいることはありません。結婚前の新婦が落ちこむのはよくあること。……そもそも新郎が気の毒なくらい動揺し、式の最中に昏倒してしまうのではと案じられるほど、いっぱいいっぱいなのですから」

 ニナは戸惑いに眉をよせた。
 三日前に会ったリヒトを思いだす。
 王族としての挙式を完璧に準備したリヒトは、最後の衣装合わせでも、リーリエ国の典雅な第七王子だった。結婚が決まって以来ゆっくり話す間もなかったニナを気づかい、滋養のある食事の手配など、細やかな配慮をしてくれた。〈銀花の城〉から持ちこんだ白百合の花束を手に、次に会うときは夫婦だねと、膝まづいてニナの手にキスを落とした。とろける笑顔で見つめられ、ニナ自身も居合わせた女官たちも顔を真っ赤にしてしまった。

「そんなリヒトさんが、いっぱいいっぱい……?」

 カテリーナは、参列者が集まる前庭を見おろして思案する。
 花嫁は待たせてこそ価値があがりますね、とひとりごちると、ニナに手を差しだした。

「大叔母からの贈り物がまだでしたね。……ついてらっしゃい」


後編