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皆既月食

2022年11月8日、皆既月食が起こった。知り合いの知り合いの占星術家は、この皆既月食は必ず観る様に。後の変化のプロセスを加速させるから、と言っていた。

皆既月食の4日前、私は大事な大事な猫を亡くした。とても大切に育て、その死に際は実にあっぱれなものだった。

あ!死ぬんだ!と分かった瞬間から息を引き取るまで、私は何度も何度も「ありがとう」と叫ぶ様に言った。
時間にすれば1分程の時間であったとおもうけど。
叫ばずにはいられなかった。

母の死に際とそっくりだった。
素晴らしい最期の瞬間を互いに共有出来た事は、共々に大変に有り難い事だった。
それでもあの時もっとああすれば良かった、こうしてあげれば良かったと思うのが人の情というもので、一抹の後悔の念が残ってしまったりもする。

ちょっきり10年前、
「情というものは良くないものや」
と私の師は仰った。
どうして情というものが良くないものなのだろう?と当時はわからなかったが私は質問しなかった。
あれから10年の歳月が流れ、自身の経験から、「情というものは良くないものや」と私も思うようになった。

さて、2年前猫を亡くした3日後に知らない人から電話があった。
「明日からそちらに二泊三日でお世話になる者です」とのこと。
遠方の叔母から泊まりのお客を任されていた事をすっかり忘れていた私は、心の準備が出来ておらず一瞬ギョッ!となったが、猫を亡くした今だから、お客様をお迎えする事は逆に賑やかで有り難い事かもと思い直した。

客人は叔母のビジネスパートナーだったので、バリバリのキャリアウーマンだと思っていたが、飛行機に乗って夜遅くに到着した彼女は、神棚を見るなり意外性のある言葉を放った。
「あなた何やってるの?
ここの神様、24時間準備OKよ!」と。

客間にお通しし、お茶を出しながら、大切な猫を亡くしたばっかりの今だから、お客を迎えるのは嬉しい事だと伝えると、
「ええ。猫ちゃんそばにいますよ!」と言われ、これには「エーッ!!」とびっくりした。

そんな中迎えた皆既月食の夕、カフェでくつろいでいたが、音楽がハリーポッターのテーマ曲に切り替わり、なぜだか満員のカフェに誰一人ものを言わない静まり返った不思議な空間が生まれて暫くした頃、わたしのスマホの着信音が鳴った…。

出てみると、私が心密かに「オジジ様」と呼ぶ人からのものだった。
「今すぐ帰って東に神棚しつらえてお祭りして。◯◯◯(突拍子もないので書けません)が帰って来るから」とのこと。

突拍子もない話だったが、オジジ様の言う事にはなぜだか絶対服従のわたしはすぐにカフェを出た。急げ!との事だった。

カフェを出ると、沢山の人が歓声をあげてスマホのカメラを空にかかげた。
月食が始まるところだった。

帰路に着く間、走りながら1度だけ月を見た。月食を見るのは初めてだった。

帰ると小さな祭壇と愛猫の骨壺をつかみ、屋上への階段を駆け上った。
家族と、その日夕食を共にする友人とで、月を見ながら祭りを仕えた。…忘れられない夜となった。

後はゆっくり友人と食事。
彼女は私の家に向かう為にマンションの部屋を出たところ、走ってきた知らない老婦人に興奮しながら「月食が始まった!」と伝えられたと言う。
「全然知らない人よー!びっくりしたー」との事。

そして夜遅くうちに帰ってきた叔母のビジネスパートナーのお客はこう言った。
「あのね、講師の先生が、今夜は特別なエネルギーが降りてるからスマホで写真を撮っときなさいって、そういって言うのよ。ちょっと!ビジネスセミナーでよー!」と。
「それって女性講師?」と尋ねると、「いえ男性」と、私にとっては意外な答えだった。

翌朝早く玄関を開けに行くと、心地良い散歩を楽しむかの風情でやってくるオジジ様の姿がガラス張りのドアから見えた。

「おはよー!」
「昨夜のあれはなんですか?◯◯◯が帰って来たって本当ですか?」
「ほんまや」
「誰情報?」
「知り合いの坊さんや」
「ほんとに帰って来てたんですか?
地球に帰って来てたってこと?
それは月食だったからですか?」

「まあいいねんなんだって。
わたしも東に神棚しつらえてお迎えしたよ。家内はお弁当作って子供たち連れて夜のピクニックに出てよった」
「へえー…」
「他にも坊さんとか行者とか神様ごとする人とか、知り合いの連中みんな同じ時間に東向いて月を見て祭り仕えたんや。
面白いやろー?」

とてもとても面白かった。
愛する猫を失って興奮気味だった私は、その興奮も手伝って、尚更忘れられぬ夜となった。

偶然か何か分からないが、変化のプロセスを加速するとの占星術師の言葉通り、その半年後に私の人生は急展開を迎えた、

あの不思議な夜のお仲間だった叔母のビジネスパートナーは、昨夜からまたうちに宿をとっている。






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