気の利いたサムシングのはなし
ある程度の年齢から考えさせられる『気が利く』ということ
ギタリスト、ハヤエモニストの北島健吾です。
今日のテーマは『気が利くとは何か?』ということについてです。
思春期を迎える頃くらいから気になりだすと思われる気が利く人と気が利かない人の違い。
よくありますよね『気の利いた一言』だったり、『気の利いた伴奏』だったり。
あれってどういうことだろうと思いました。
パワーには向かう方向がある
気を利かせるからにはパワーが動いてると思うのですが、
それってどこに向かってると思います?
ぼくは10代の学生時代を終えて20代に突入した頃、接客業を始めました。
職場の上司に「もう少し柔らかくなれよ」と指摘されて、自分のコミュニケーション能力に疑いを持ちコミュニケーション系のHOW TO本をたくさん読みました。
その時もいわゆる攻略本気質ですね。基本的に趣味以外の手段は手引書が欲しい。
だいたい書いてあることは今も昔も変わらず「相手をいい気持ちにさせる」というスタンスのもの。
これについては1人で練習できるものではないですし、下手が下手なりにやっても『気持ちよくさせたつもりで大きなお世話』だったりもします。
なかなか双方向にならない
例えば、コンビニエンスストアに行ったとき。
20代の中頃、
当時はダイエット中でコンビニに行く時はミネラルウォーターかお茶、そしておにぎり1つを昼食にしてました。余計な勧誘は避けたいのです。
昼食を買いに行くたびにパートのおばちゃんに言われるのです。
「今日はフランクは要らないの?」
「できたてのホットスナックが30円引きですよ」
「最近アメリカンドック買わなくなっちゃったね?」
わかってるとも。
これは気を利かせていってくれてるんだろう。(いや、それだけじゃない。販売施策の一環だ)
そう思いながらも、
「いいえ結構です」と。
気を利かせる理由って何?
「気の利く人」だと思われたいだけだとしたら矢印は自分に向かっている。
考えてみます。
「気の利いた伴奏ができるようになりたい。」
これ、気が利く角度はどういう角度なのか。
例えば2人でセッションを楽しんでいるシチュエーションなら、
相手が気持ちよくメロディを弾けるようにですね。
相手がボーカルなら、歌いやすくて盛り上がりやすいようにです。
リズムを明確にしたりコードをシンプルにするのも気が利くだし、相手が変態ならコードをジャジーにしてくのも気が利いてるかもしれない。
結局は相手のポケットに入るかどうかですね。
これがその演奏を見聞きする観客に向けての「気が利く」だった場合は、
演奏者同士の気が利くだけではなくて、観客の気持ち良さは個が複数いてポケットに入る最小公約数を選ぶことになる。。。
これ場合によっては100パーセントじゃないけど大丈夫??
相方が盛り上がったけどお客さんはついてこれてない。
これはよろしくない。だからわかりやすくする。
すると相方がつまらない、そんな場合もある。
お客さんに向けて気を利かせた結果「なんかやりたいことと違う」と言って解散するバンドマンもいる。
また、クライアントがいて演奏をしているとすれば来場者に対する配慮だけではなく、
クライアントが何を成功としているかによってまた矢印がぐちゃぐちゃになっていく。
シンプルじゃない。
ゲームというものはプレイヤーが増えれば増えるほど複雑になっていくので。
一筋縄じゃいかない。
さて、気の利く何かとはなんだろう。
もう、身近な人を大切にしていったらいいじゃない?
ぼくが気を利かせた結果、気を利かせてくれるようになった人にもっと気を利かせたいじゃない?
この発想はpolkaと山内良太氏の影響がでかいよ。(笑)
自分のアプリ開発を支援したい人の気持ちを自分が支援したい。 それ超面白い。