時間と空間と人間のコントロール
インターネットという写像
勝間和代さんがひろゆきと論争している昔の動画を観ていたら、「インターネットは所詮は写像である」という意味の言葉が発せられていて、ひろゆきが「写像ってなんすか?」みたいな返しをしていて面白いなぁと思った。
何が面白いかといえば、その「写像」に人類は如何に依存して発展してきたかを考えると、勝間さんがインターネットを(というか多分2chを)小馬鹿にしている言こそが、インターネットと人類の発展の本質を指しているからだ。
対してそのインターネット黎明期(こと日本における)を創出したひろゆきが「写像ってなんすか?」と小ボケているのが気味がいいくらい皮肉に写っていて楽しい風景だった。
写像とは、ありのままに現実を映し出したものだ。鏡やレンズなどの分野で使われる。拡大解釈すると、現実を複製または切り取った媒体ということになり、インターネットがそれだという話になる。
人類の発展でこの「写像」がかなりキーになっているというのは、書籍や新聞、テレビがまさに現実を切り取った写像であるからだ。これらに大いに依存し、大いにコントロールされて人類は発展してきたことは間違いない。
人類がコントロールしたいもの
人類が最もコントロールしたいものが、時間、空間、人間の3つだ。
コントロールしたいだけではなく、依存しているものとも言える。
時間。現代は特に時間に追われ、タイムマネジメントこそが生活になっている。振り返れば文明が始まる前から人類は時に依存した生活をしており、日が登れば活動し、暮れれば寝るという暮らしをしている。
そしてその時間をこそコントロールするべく様々な技術を開発してきた。コンピュータや機械が人類の生産性を大きく高めてきたことは明らかな事実であり、農耕時代からも様々な道具を製作し、人が手を動かす時間をコントロールしてきた。
空間。地球という大自然の中に人類の居住空間を設置するということが、我々人類が安全に反映するための第一優先事項だった。
安定した空間に身を置き、食糧を生産し、保存し、家族や何代もの子孫を生育するということが、遺伝子に刻まれた本能でもある。
時間と共通する要素として、自動車や鉄道に船、航空機、それらを走らせるための道路に線路、航路に空路は、空間を往来し繋げるための、コントロールするための大いなる発明である。
人間。我々は昆虫や魚類とは異なり、複雑であるがゆえに同じ生物種間での意思疎通能力が低いという欠点を抱えている。隣の人の考えが読めないからだ。
昆虫などは意思疎通が簡略化されているがゆえに、行動が集団として一貫性を持つ。働き蟻の数が減れば、休んでいた蟻が黙って働き出すことは有名だ。
人間にも一部そういった習性があるが、その多くは同種間で殺し合い、滅ぼし合い、奪い合い、憎み合う。そういった習性が激しい種として知られる。
こういった人間達のコントロールのために生み出されたのが、宗教や学問だ。神の教えという道標を掲げることで、異なる思想を統一し、行動を制限することができた。自然の脅威や有効活用法などを知り、社会そのものを学問として体系的に最適化することで、人間は人間をコントロールしてきた。
農耕や畜産はこうあるべきである、社会とはこうあるべきである、貨幣や経済、数学や会計、法律や刑罰などを発明することによって人間は人間をコントロールし秩序を保って今日まで進化を続けてきた。
ツールとしての写像
そしてこれらの「時間」「空間」「人間」のコントロールに使われてきたのが「写像」である。
大衆はテレビによってマス化され、不必要に商品を購入するよう促され、画面に映る説得力のある人物によって思想を植え付けられたりしてきた。
その時間、その空間で起きた出来事が「写像」として発信され、人々は画面を見ることでそれを把握し、何事かを思案するという生活スタイルに変容した。
古くには、人の考え方を書籍という形式でパッケージされたものを規範として学び、娯楽として楽しみ、芸術として昇華してきた。テレビやインターネットの前は新聞がその役割を果たしていた。文字という現実世界の「写像」もまた、時間、空間、人間をコントロールする重要な要素である。
インターネットはこの25年の間に、世界の情報インフラとなったが、これによって情報収集の「時間」を大幅に効率化してきた。スマートフォン一つで世界中のニュースがわかる。大昔には渡来人の言語を苦労して翻訳し、ようやく手に入れたような情報が、翻訳ボタンひとつでわかる。
また、これまで移動することでしか成し得なかった「空間」の移動をも制御することができるようになった。東京とニューヨークにいながらにして、同じFORTNITEのゲーム空間で一緒に遊べるようになり、Zoom会議で同じ空間を共有して議論を交わすことも常識となった。
SNSをはじめとするインターネット上の各種サービスが、一種のプロパガンダのように人間をコントロールすることにも一役買っていることは、昨今のウクライナ戦争の情報戦やロシア国内の言論統制で明白だ。
画像や動画データという「写像」は、インターネットを通じて世界中どこにいてもスマートフォンに遠く離れた戦地の映像を見ることができる。
人類が本能的に制御したいという欲求を、「写像」によって可能としてきた。時間を切り取り、空間を複製し、人間を投影することで文明を発展させてきた。
所詮は「写像」であるが故に、それは作りやすく、伝えやすく、盲信しやすい。
毎朝見る鏡や、車のミラー。
何気なく撮影したスマホの中の写真。今書いているこの文章。
歴史が語るように、私たちはこの写像に満ち溢れたこの世界で、それに依存したままこれからも急速に進化を続けていくことは間違いない。