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デジタル庁の新設

みなさんこんにちは❗️

最近、気候気温の変化が激しいですね。こんなご時世ですし体調には充分気をつけてくださいね。
みんなマスクもつけて手指消毒もしてこれ以上気をつけれるか❗️って感じですが。
適度に体を動かすのも大事ですよ😀

ただ、人の心臓は生涯の脈拍数が決まっている説もあるようなので無理は禁物です😆


さてさてみなさん、デジタル庁が行政機関の仲間入りをしたのはご存知ですか❓
デジタル庁は菅総理の政策の一つとして設置されました。
もし知らないという人は、まだ新しくできたばかりなので
ここで一緒にインプットしていきましょう❗️

デジタル庁は、デジタル社会形成の司令塔として、未来志向のDX(デジタル・トランスフォーメーション)を大胆に推進し、デジタル時代の官民のインフラを今後5年で一気呵成に作り上げることを目指す。
                      デジタル庁HPより

DXとは❓
DXとはIT化そのものではない。製品・サービス、さらにビジネスモデル・組織、延いては社会の変革がその目指すところである。IT化は手段である。
つまりIT化をすることにより社会をより過ごしやすくしていこう!という感じですね。


デジタル庁組織ず

これはデジタル庁の組織図です。
総理大臣直属ですね。

実施事項
・デジタル社会の形成に関する重点計画の作成及び推進
・個人を識別する番号に関する総合的・基本的な政策の企画立案等
・マイナンバー・マイナンバーカード・法人番号の利用に関すること並びに情報提供ネットワークシステムの設置及び管理
・情報通信技術を利用した本人確認に関する総合的・基本的な政策の企画立案等
・商業登記電子証明(情報通信技術を利用した本人確認の観点から行うもの)、電子署名、公的個人認証(検証者に関するこ
と)、電子委任状に関する事務
・データの標準化、外部連携機能、公的基礎情報データベース(ベース・レジストリ)に係る総合的・基本的な政策の企画立案等
・国・地方公共団体・準公共部門の民間事業者の情報システムの整備・管理に関する基本的な方針の作成及び推進
・国が行う情報システムの整備・管理に関する事業の統括監理、予算の一括計上及び当該事業の全部または一部を自ら執行すること

デジタル大臣には平井卓也氏が選出されました。

そして、事務方の役割としてデジタル監があります。責任者は石倉洋子氏が選出されました。
石倉洋子氏の年齢は71歳。IT専門ではない高齢の石倉氏が、なぜデジタル庁の重役として選出されたのでしょうか❓
今回注目するべきなのは事務方をまとめるトップとして伊藤氏が落選し、石倉氏が起用されたことです。
石倉氏の経歴を書きます。

石倉洋子 71歳
石倉氏は上智大学を卒業後、ハーバード大学でMBA(経営学修士号)、博士号の学位を取得し、青山学院大学、一橋大学、慶應義塾大学など、複数の大学で教授職にあり、その間から現在に至るまで、多くの有名企業の役員や社外取締役を務めている。

超絶エリートであることは間違い無いです。
ITに造詣が浅くても、あくまで統率を図るためのデジタル監長。
グローバルな視点で指揮していくカリスマ性を認められたということなのではないでしょうか。

そして、もともとの最有力候補として伊藤穰一氏があげられていました。
伊藤穰一氏について簡単に経歴を書きます。

伊藤穰一氏 55歳
幼少期は欧米にて育ち、14歳で日本に帰国。幼少期よりオンラインゲーム開発をしており、インターネットについての知見は深かった。
31歳の時に日本の警察庁ハイテク犯罪対策室立ち上げに関与するなど、数々の団体の理事を努める。
45歳でマサチューセッツ工科大学研究室所長(日本人初 4代目)を経験したのち、50歳で同大学教授を兼任。
しかし、2019年に性犯罪者となったジェフリー・エプスタインから資金提供を受けていた事実が発覚し大学を辞任している。
メディアに関する知見は圧倒的であるためデジタル監の有力候補として選ばれていたが、資金提供の問題が世間で騒がれ、この度見送りとなった。
デジタル庁の有識者会議であるデジタル社会構想会議のメンバーの1人になっている。

個人的な意見として伊藤氏の起用を見送ったことは、かなり勿体無いなと思っています。
そもそもデジタル庁に入る条件として「専業」とすること。
つまり他の仕事はしないことがあります。

伊藤氏のような世界規模の権力者が、自分の仕事を辞めてまで日本で働こうとしますか?って思いますね。
犯罪者から資金をもらっていた事実は消せませんが、その資金で我々に貢献してくれた事実もあるのではと思います。

最後に平井大臣。

平井卓也 63歳
香川県高松市出身。高松第一高等学校を経て、上智大学外国語学部英語学科卒業。1980年電通に入社する。1986年に同社を退社、その後、1987年11月より1999年まで西日本放送代表取締役社長、1993年11月に丸亀平井美術館を設立・館長に就任、1995年4月より親族が経営する高松中央高等学校理事長を務めた。

平井大臣はネット社会となった現在を取り締まるサイバーセキュリティ基本法について制定したIT系の第一人者として知られています。
電通出身でもありIT系には太いパイプがあることも予想されるためデジタル大臣へ選出されたのでしょう。

デジタル庁新設。これからどのように動いていくのか楽しみです。

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