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【30代独身女 都内住宅購入記③】初めての不動産会社面談と内覧 -「資産性が高い家と街」-
不動産会社の方と話すとなると変に身構えてしまうのは私だけだろうか。
如何せん部屋を借りるにしても家を買うにしても金額が大きく人生の中でそう何度も発生する取引でもないので、無知な弱きものは食い物にされてしまう…とても失礼な言い方をすると押し売られたりぼったくられたりするのではないかという不安が常に付きまとうのである。
(すべての不動産会社の方がそうではないことは重々承知している。完全にイメージだけでそのように思ってしまっている点はお詫びを申し上げたい。)
そんな漠然とした恐怖を感じつつも、SUUMO以外のポータルサイトでも物件を絞り込む条件の微調整を繰り返し、"条件微調整マシーン"を超えもはやモンスター化している現状を打破すべく、不動産会社の担当者との初面談に臨んだのである。
悲しきモンスターになってしまった経緯はこちらに記載した通りである。
初めての面談
初めての面談はものの数十分で終了した。
簡単な自己紹介と先方の会社紹介、なぜ家を購入しようと思ったのかや希望のエリア・予算などをヒアリングされ、ざっくりと住宅購入はこういう流れで進むんですよ、こんな費用が必要になりますよと案内を受け、ご希望に沿った物件をいくつかお送りしますと言われて解散。
こんなものなのか、と思った。こちらとしては一生に一度あるかないかの数千万の買い物になるので色々と面談も盛りだくさんなのかと身構えていたのだが、拍子抜けするほどあっけなかった。
ほどなくして担当者からメールで物件が送られてきて、その中でいくつか気になった物件の内覧を依頼したのであった。
ここまでかなりのスピード感で進んでいった。中古マンションがいかに早い者勝ちの世界で取引されているかは説かれていたので、もしかすると内覧してその場で決めてしまうなんていうこともあるかも?という淡い期待と、同時にそんなに簡単に数千万もの買い物をしてしまってもよいのだろうかという不安を抱えながら内覧の日を待った。
そして初めての内覧
初めての内覧は都心3区にあるオフィス街エリアに佇む物件たちで行われた。
面談で都心3区を希望している旨を伝えた上で、担当者が紹介してくれた中で手が届きそうな金額の物件が存在していたのが該当のエリアだったのである。
どれも30-40㎡前後とコンパクトではあるが、駅から徒歩数分、築年数も新旧ばらつきはあるもののすべて新耐震基準を満たしている年数のものだった。
資産性チェッカーに照らしても、完璧ではないにしろそこそこなのではと感じる物件たちである。担当者も「このあたりの物件であればリセールバリューは間違いない」と言っていたので感覚に大きなずれはないのだろう。
その日は4件程度の内覧を行った。そして、そのすべての物件に対してはっきりとこのように思ってしまった。
住みたくない…と。
まず、思ったよりも狭い。
30㎡もあれば一人と一匹の暮らしには十分なのではと考えていたのだが、間取りのせいなのか20㎡前後しかないはずの今の家の方が広いとすら感じる始末だった。感覚論ではあるが…。
そして、大きな通りや高速道路に近いので音や排気ガスがとても気になる。洗濯物を外に干すことは愚か、換気のために窓を開けることも難しいだろう。
加えて、周りに背の高い建物が多いので眺望や日当たりはほぼ絶望的だし、建物同士の距離も近いのでほとんどカーテンも開けられなさそうだった。
この抜け感の無さが、十数畳以上あるはずのリビングも寝室となるであろう部屋も全く広さを感じなかった遠因でもあるのかもしれない。
建物距離の近さによるプライバシーの心配もありつつ、致命的だったのが日当たりと眺望の悪さだった。
太陽光はほぼ期待できず、おそらく一日中電気をつけていないと暗くて仕事にならない。そして、窓から見えるのは隣の建物ばかりで、空があまりにも狭い。
同行してくれた担当者も、私が物件に対してあまり好印象を抱かなかったことを察したのだろう。終始苦笑いだった。
こうして、初めての内覧は終了した。
内覧終了後の街歩きと「資産性の高い家と街」に思うこと
担当者とは、最後の内覧後に現地解散した。
私がこのエリアを歩いて回りたいと申し出たからである。
昼過ぎに内覧を開始して解散時にはもう夕方になっていたが、まだまだ陽は長く気温の高い時間である。
ただ、高いビルたちのおかげで歩道はほとんど日陰になっていた。歩きやすくはあったが、部屋にも太陽が届かない点を思い返すと皮肉である。
さて、ふらふらと周辺を歩き回って実感したのは、このエリアに住むということは私の中で考える生活や日常の豊かさを切り捨てることと同義だなということだった。
大きなスーパーはほとんどなく、日常の買い物には困るだろう。大きな道路も高速道路も近く車がびゅんびゅん飛び交うので、騒音や排気ガスを避けるにはかなりの高層階か相応に駅から離れなければきっと難しい。当たり前だが緑もほとんどないので春の桜や夏の青葉、秋のキンモクセイや冬の椿・山茶花…こういった季節の移り変わりはほとんど感じることができないだろう。
何より、今の生活で大きな癒しのひとつとなっている愛猫のひなたぼっこ姿は確実に望めない。騒音が激しいと、それこそ愛猫に大きなストレスがかかる。
これらの家で生活するとなると、カーテンや窓は基本締め切ったままになるだろうし、食料品や日用品はネット注文頼りになる。
愛猫の日向ぼっこ姿に癒されることも、自然から四季の移り変わりを感じることも、スーパーを練り歩いてツヤツヤした野菜や果物を眺めて美味しそうなものをついカートに入れる楽しみもきっと無くなる。
家は寝に帰るだけの場所なので、広さや自然や日当たりなんてどうだっていいという方ももちろんいるだろう。
ただ、これが、私が本当に家を買って実現させたい暮らしなのだろうか。
そんなことを思いながら、帰りの電車の中で切なさを感じてもいた。
手前味噌ではあるが、仕事に打ち込みそこそこの収入を得られるように努力を重ねてきたにも関わらず、住みたいと思う場所に家を買い理想の生活を実現させることがこんなにも現実味のないことなのかと。
同じエリアでもタワーマンションの50階であれば日当たりも眺望も騒音も気にならないだろう。どこにでも住めるだけの財力があれば、代々木上原や松濤なんていう高級住宅街エリアにも選択肢が生まれていたかもしれない。
ただ、私の手の届く範囲の「資産性の高い街」にある「資産性が高い家」は、直感で「住みたくないな…」と感じてしまうものなのである。それがとても悲しかった。
私が大事にしたいこと
帰宅し、改めて今は周辺の環境を含めて良い家に住んでいるなと感じた。
住宅街なので閑静で、高い建物もないので窓から見える空は広く、日当たりもよいので日中はほぼ電気をつける必要がない。駅からはかなり距離があるが、道中に季節の移ろいを感じられるスポットがたくさんある。大型の商業施設などはないものの、スーパーも多く中には24時間営業しているものもあるし日用品も気軽にそろえることができる。
思えば、今のアパートに何年も住んでいるがほとんど空室が生まれない。空室になったとしてもすぐに満室になる。「資産性の高さ」を示す指標にはほとんどフィットせず「貸しにくい」はずなのにも関わらず、だ。
さらに思い返すと、この家は見た瞬間に「住みたい!」と感じるほど輝いて見えて、当時案内してくれた不動産会社の方が「この物件を見てしまうとこの後のお部屋は全部霞むと思います」と笑ったほどだった。
迷わず契約し、引越しまでも待ち遠しかった。
「資産性の高さ」は、そんな高揚感を犠牲にしてまで求めないといけないのだろうか。
きちんと、自分が住宅に対して何を求めるのか、何を大事にしないといけないのかをきちんと考えないといけないのではないかと思わずにいられなかった。
担当者からはさらなる物件の紹介が届いていたが、住宅購入そのものについてもう少し検討したい旨を伝えた。「それではお困りごとがあればご連絡ください」とあっさりとした反応だけが帰ってきた。
とはいえ、まだ家探しを始めてそこまで時間も経っていないし、内覧もこの1回のみである。
ここですべてをストップするのではなく、少し考え方を変えた方が良いかもしれないと思い始めたところで、とてもとてもよい動画と本に出会うことになる。
そのお話はまた次回に。