言語化はそれかそれ以外かをわける手段にすぎない。【リスタートへの思考整理帳02/僕の仮説62】
■手段が目的化している最近の日本
「何のため?」
最近、仕事を一緒にしていて相手によく思うことだ。
これは出版、メディアだけでなく、 サッカー関係者に対しても抱いている。最近というより「もう5年ほど前から」と言った方が正確だ。SNSの普及、発達により間違いなくさまざまな分野の数値化と方法論が言語化され、明確化が図られたからだろう。
見える化は比較対象を作り、その分野の領域では向上することに役立つ。
しかし見える化、言語化とは写実的であり、その背景や文脈までを反映するに至らない。扱う側の能力による。はっきり言えば、見える化、言語化の奴隷になっている人と、きちんと活用して有益化できている人と極端にわかれる。
多くの人が見える化、言語化の存在に囚われている。
具体的にたとえると「何のため?」が目的になってしまっている。「何のため?」は目標ではない。そして、ゴールでもない。あくまで手段であり、通過点、つまり過程で確認、目安のために存在する。
たとえば、SNSのフォロワーを増やす行為。
「増やすため」になれば、数字が目的になるので炎上商法など手段を選ばずに行動を起こすことができるが、その結果得るものは非常にネガティブなものを残す可能性をはらむ。増やした先に目標があり、仮にそれが「信頼を得るため」であれば、配信そのものの意義や意味を考えた行動になる。炎上商法など他人に迷惑をかける行動は避ける選択をとる。
その配信は「嘘をつかない」ことが前提になるため、信頼に通ずる。本人にとっても持続性があり、その自分を見つめる行為、行動からさまざまな気づきと先の行動指針を明確化が可能になるだろう。だから、「何のため?」が目的になっている人と仕事が嚙み合わない。先を見通せないから。
繰り返しになるが、私とは目的が違う。
相手は「何のため?」が目的だが、私は「何のため?」を通して相互利益を得ることが目的だし、その先の目標を達成することを見据えている。打ち合わせやミーティングをすると違いは一目瞭然だ。その場で話が噛み合えば目標が同じで、「何のため?」が手段だから具体的な方法論に即移行できる。
このときの話は楽しい。
視座に富んだアイデアがどんどん湧く。その点を線に、線を面にしていくような作業には当然、効率性や生産性といった結果につながる要素も不思議と含まれている。このときのチームで仕事をするときは本当に爽快で、結果が出やすい。
■バズワードの奴隷化している指導者
ここ数年、サッカー界では言語化が話題になった。
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