試した結果は未来でしか判断できない。【気ままな一人語り06/僕の仮説79】
■たとえば、無人島で生きる力を養う
親が子どもにできることは?
アドバイザーを務める地域クラブの視察に月2回行き続けている。未だに信じられないが、練習中、子どもに話しかけてくる親をたまに見かける。
時代が変わったこともある。十分に理解できるが、子どもが友だちとサッカーに勤しんでいるのにしゃべりかける親がいる現実に目を疑う。
当然、クラブも悪い。
子どもの時間と空間、つまりは『間』を他人である親が侵食すること自体、本人の貴重な人生経験を奪うことを意味する。こんなふうに活字にすると、親だけが悪いように思えるが、子どもの時間と空間を守れないクラブに責任の一端はある。
現在、親に物申せないコーチは少なくない。
クラブは確かに親から会費をいただく。ただ、子どもの経験を侵害する存在がいるなら、たとえ親だろうと言うべきことは言って選手を守ることが、責任の果たし方である。
私のジュニア時代の恩師は、親も叱り飛ばしていた。私たちの目の前で親を並べ、全員に強い口調で説明していた。
「子どもがサッカーに関わっている間は、一切親は口出しするな。自分のことは自分でやる。当たり前のことだ」
私はサッカーが好きだった。それは自由だったからだ。サッカーの間は誰にも邪魔をされず、自分を自由に表現できた。とくに親が侵害することがなかったからより自由だった。
対人、パス&ラン、シュート…練習はいつもマンネリだったが、基本と最後のミニゲームの積み重ねがいつの間にかポジション、個々の役割を定めていき、局面でしか使わない基礎練が私たち選手の連携を創造していた。
当時、1-4-3-3のフォーメーションは3年間続き、ポジションもほぼ固定され、今のように専門的な指導は受けたことがなかったが、チームとポジションと機能性に対する知恵は育まれた。正直、今のジュニア選手より遥かに創造性は上だと感じる。
あらためて振り返ると「恵まれていなかったのか」と問われるとそう感じていない自分がいる。
恩師が与えてくれたもの、それは「環境だったのだ」と断言できる。
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