成長は基本的に『問う』ものでなく、『望む』もの。【リスタートへの思考整理帳06/僕の仮説66】
■自分を大切に少しずつ広げる。
成長とは、問われるものなのか?
最近、社会を見渡して思うことだ。経済、スポーツ、教育…あらゆる分野で『成長が良いこと』だともてはやす。この状況に違和感を覚える。
成長が良いことに異論はない。
ただ『主語』が重要だ。
たとえば、『経済が』『スポーツが』『教育が』にはなり得ない。主語は必ず『ヒト』であるべきで、『ただし』と条件が付く。ヒトは社会の一部で、社会は自然の一部。もしかすると自然が地球だと仮定すると宇宙の一部としても捉えられる。
ヒトと言っても『自分』なのか、自分を含むチームなのか、組織なのか、地域なのか、自国なのか…。主語も形態が変わる。この事実を認識した上で、成長はうたう必要がある。
いずれにしろ他者から問われたときは『自分』を見直した方がいい。
「成長しているの?」。そう、せっつかれたり、求められたり、問われたりする『自分』は『今』きっと機能していない。間違いなく、これが続くと心は崩壊の一歩を確実に進む。
もう答えは出てしまったが、「成長は自らが望むものである」。
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