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豊かな指導は、サッカーをすべてと捉えない。【リスタートへの思考整理帳04/僕の仮説64】

■子どもに比べることを求めない

「伝えたいのは、自分を大切にすること」

久保竜彦さんのホームページをのぞくと、自身がサッカー教室を行う理念のような思いがこう銘打たれている。

「サッカーを教えていると、
自分のからだをうまく動かせないでいる子が時々いる。
そんな子を助けてあげたいと心から思う。

サッカーがうまくなってくれるのもうれしいけど、
本当に伝えたいことは…

自分を大切にすること。

その上で、まわりの環境や人と調和していくこと。

少年時代、友達とボールを追いかけていたあの頃、
本当に楽しかったなあ。
いろんな所でサッカーをしてきたけれど、
あの楽しさはまだありありと残ってる。

その仲間たちとは、今でも会えば
おいしい酒が飲めるんよね」

私の心には、ここに綴られている言葉が心地よく入ってくる。

サッカーに対してどういう思い、考えでいるかは人それぞれ。しかし、ネット上で起こるさまざまな議論を見渡すと、すでに何かしらの比較対象に出会った人、つまり「上を認識し関わりたい人」が対象となっている。

このような議論に子どもを巻き込まないでほしい。

そもそもジュニア期の選手に上とか下とか関係がない。私は「全員が上を目指している」と見なす現代の大人たちに違和感を抱く。「上を目指す」ことが前提でなければサッカーをやってはいけない嫌な空気が蔓延していて居心地悪い。

自ら上を目指したい子はその道を選んでいるのだから、どんどんトップを見据えて突き進んでほしい。夢や目標を日本代表、ヨーロッパクラブでのプレー、バロンドール受賞と具体化して適切な指導を受けられる場所を探してほしい。最近では、そういう子をサポートできるクラブ、あるいはスクールも増えつつある。

だが、その逆はあまりに乏しい。

ジュニアサッカーは未だに多様性に貧しく、その質も低く、「楽しいか、必死か」の両極端な選択肢しか器がない。もっと「多様性に富む質の高い階層=グラデーションを生む環境づくり」が必要となっている。

そういう意味で、久保さんのようなサッカーとの関わり方を体現し、さらにサッカー教室まで開かれている元プロが出てきたことに、サッカー後進国である日本が一歩前進したことをうれしく思う。

ビジネスライクとして子どもたちにサッカーを持ち込んでいないことに、本質を突いた「多様性に富んだ質の高い」指導を感じている。

■社会に存在するルールとの戦い

どうしたら「多様性に富む質の高い階層=グラデーションを生む環境づくり」ができるか。

私の中では、明確な解決策が一つある。

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