人口過多、グラウンド不足…育成環境の改革は難しい。【リスタートへの思考整理帳08/僕の仮説69】
■東京での大会はちょっと断念
都内で暮らして十数年が経つ。
ようやく、この地の特性を冷静に判断できるようになってきた。人口が多いことは経済的な観点ではメリットがたくさんある。この点に異論はない。
だが、その前提として「現状の仕組みの中においては」という条件が付く。ここは大きい。現存する仕組みを上手に活用できれば、さまざまな可能性が広がる。
人口密度が高い=連鎖速度が速い
この働きは世界にも類を見ないのではないだろうか。たとえば、利便性、生産性といった時短に関わるアプリは都市圏に溢れる。
しかし、地方に一歩出ると驚くほど浸透はしていない。もちろんスマートフォンの普及により今後は浸透速度の時間差すらもなくなっていくのは間違いない。
きっと世代の入れ替わりが大きく影響する。現状の人口比率に目を向けると、団塊の世代が大きな割合を占めるため、日本の技術革新は世界的に見渡してもかなり遅れている。
さて、『現状の仕組みの中においては』と前置きしたのは都内で暮らし、『仕組みに沿わない』場合の例外感、疎外感…そんな体験を幾度となく経験しているからだ。
未だに時々出くわす。
KADOKAWAから独立し、フリーランスとしての活動以降、仕事の依頼のあり方は企画立案からが多い。少し具体的にいうと、普通は編集部内でこなす特集を丸々と依頼されたり、一冊をディレクションする立場だったりと、個人だが、制作会社的な依頼をされる。
企業にはありがたく思われているようだが、編集部内には特殊形態でどう扱っていいかがわからない。本来なら何度も企画会議を繰り返して進む特集も、私の場合はデスク以上の役職持ちと直接コミュニケーションをとって形に起こす。
決済者と直接中身を決める。
このような仕事のあり方は従来から存在するものの、誰もに依頼があるわけではない。いま冷静に考えると提案内容が決済者でしか判断つかないことが散りばめられて、一編集員にとっては上司確認の仕事が一つ増えるから一緒に制作しにくい存在だろうなと思う。
ページを制作することが『タスク』の編集員と、『結果に出す』ことが生き残る道の私とでは根本的なモノづくりへのアプローチが異なる。
当然、依頼した決済者も私に依頼した方が都合のいいことがある。結果を出すための企画立案からの制作を編集プロダクションより安く行える上、実売などの責任も丸投げできる。なぜならフリーランスは切れるが、社員は切れないのが日本の仕組みだからだ。
そんな理由で編集部に足を運ぶと例外感、疎外感は半端なかった。
それは現在も変わらない。何度も責任を押し付けられたことはあったし、損害賠償を支払えと訴えられかけたこともある。こちらに落ち度は一つもなかったので戦った。理路整然と証拠を差し出しながら戦う力がないと責任を伴う紙制作はできない仕事だ。
サッカーメディアとも仕事するなか、ここ数年はメディア事業者側に対して違和感を抱き、自らが関わりたいジュニア領域はこれまでの立場を取っ払って動き始めた。そして昨年、『地域とともに歩く』と心に決めて『大会』をプロデュースし、これを接点に新しい地域サッカーのあり方の模索をスタートした。
パートナーとして一緒に活動できそうな地域クラブや地域スクールに声かけし、まずは試合環境の改善として経験・体験格差を減らそうと動いている。
昨年末、自分が住む東京の多摩エリアでプレ大会を開催できた。改善点はたくさんあるが、大会というサービス提供者として参加した選手、チームには一定の満足度をいただいたように感じている。
しかし、1月末パートナーを希望していたクラブから断りの連絡を受けた。
やはり『ヒト、モノ、カネ』のリソース・バランスの問題が大きいようだ。特殊レギュレーションを設計しているので、それを理解できないクラブは参加が厳しい。そのため、参加チームを募る重圧などの大変さがあったのだろうなと想像している。
プレ大会にまでチャレンジしてくれた地域クラブには感謝を申し上げます。
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