誰の責任? 痛みを伴う覚悟が解決に導く。【世論が話題のニュースを綴る01/僕の仮説68】
■サッカーが中心な限り、解決はない
年末年始の風物詩化したように錯覚してしまっている『高校サッカー』。この時期、テレビをつけるとサッカー界隈を生活源として働く人々は「忙しく動き回っているな」と実感する。
「ネタがないか?」
必死になって探す。私もサッカーネタを探す一人として、その生活を送っている現場の人々を心から尊敬している。
すべてのサッカーニュースに目を通さなくなって数年が経つ。いくつか理由はあるが、自らが今後十年単位で関わりたい『核=コア』が明確になったというのが大きい。
「地域のクラブやスクールとともに歩く」
こう決めた。ここに必要な情報には、どんな些細なことも目を通す。教育、部活、受験、子育て、地域経済に関わること…私なりに「関係がある」と判断した情報は全国どんなニュースだろうとアンテナを張っている。
当然、社会で起こる大局的な出来事は情報として取り込む。一メディア従事者として日常のルーティーンであることは、念のために一応触れておく。
さて、提示したタイトルのサッカーニュース。
青森山田・松木玖生は同じ舞台を3度も繰り返す必要があったのか 日本の異例な育成基準が生む“弊害”
サッカー界の人たちの中では「重要だ」と騒がれたように感じている。確かに『サッカーを中心に見る』と、読者も当事者意識を刺激させられる内容なので興味深い。
書き手もすばらしい。
文章も、構成も、しっかり練られていて、一編集者として「うまい」と思う。昨今のサッカー界に、このクオリティを出せる書き手は数えるほどしかいない。この記事は読む価値がある。
だから、本企画のテーマに挙げさせていただいた。
この問題は、意見が分かれるだろう。分かれるとは、一テーマに対する複数の意見ではなく、複数の視点に関する論争という意味。サッカー界を中心に見るとそれほど複雑で、答えを出すのが難しい問題だ。
しかし、あくまで「サッカー界を中心にすれば」の話である。
私は、まったく違った見方をしていて、異なる解決案を持つ。はじめにお断りしておくと、その解決案はバンドエイドのような部分的応急処置ではない。ケガを治すため、細胞レベルから一生物を再構築しようという提案に近い意見となる。
現在の歪みだらけで雁字搦めの仕組みやルールの上で解決をもたらしても、また別の問題が起こり、根本的な解決ができないと考えているからだ。
この問題は、もう現状では一つの議題として机上にのせられないと実感しているため、冷静に根本から問い、紐解く必要がある。こう問わないのが『最大の疑問』にして、私なりの解決案に至る最初の岐路だ。
間違いなく、ここがスタートである。必要なら法律さえ変えるほどの覚悟と気概がなければ、今後も大きな改革はもたらされないとも思う。
「なぜ学校管轄のサッカー部が日本のトップを目指さなければならないのか?」
ほとんどの人がクラブと学校のサッカー部を一緒に混ぜ合わせて議論しているが、そもそも学校は学業に励み、社会に出る事前準備をする場所であって、スポーツ界における日本のトップ、世界を目指すところではない。
「クラブと学校の部活は混ぜてはいけない」
答えは至ってシンプルだ。部活のNo.1を決めることに何の意味があるのか? 一歩譲ってクラブのNo.1を決める大会なら、辛うじて理解はできる。付け加えておくが、別に全国大会廃止論をうたいたいわけではない。
ここを念頭に置き、読んでいただけたら幸いだ。
正直に申し上げると、この企画はこのテーマにまつわる知識と教養がなければ「なぜ?」「これはどことつながっているの?」「これとあれがどう関係しているの?」「予測でしょ」等々、感じることが多々あるだろう。
目的は(私の)『頭の整理』。
その過程をのぞくと、「読者にとってたまにヒントが転がっていることがあり、これに触れることでイノベーションが起こるのではないか」という実験的な試みを含む。
ここにネガティブな感情を抱く人は読まないでいただきたい。
よろしくお願いいたします。
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