動物的か、人間的かのせめぎ合い。【世論が話題のニュースを綴る03/僕の仮説74】
■セスクの言葉が生む業界への波紋
セスク・ファブレガスが最近の『サッカー界の科学の導入』について見解を語った。
数値、データ … 頭でっかちになったサッカー界への嘆きに聞こえる。
ひとまず、このニュースをご一読いただきたい。
少し哲学的だが、人が生物として存在することと、人間として存在することは意味が違う。
心臓が動いていたとしても脳が働いていなければ、人が主体的に自らの存在意義を示すことはできない。また、脳の働きは心の働きと強く結びついており、意志なき人間に心の稼働があるかもわからない。
それは人が生命を宿すとき、『頭→臓器→手足骨格…』と形成されていく順番からもなんとなく察することができる。脳が『人間たる所以を証明する』上で最も重要なパーツなのは説明するまでもない。
ハッキリ言えることは『生物機能』と『人間機能』を別々に捉えるのではなく、体と頭と心は密接につながっていること。この認識は、二極化せず物事を理解する上で大事なことだ。
たとえば、体を動かせば頭がスッキリし、心は開放的になる。頭が働けば心も体も稼働を始める。つまり、どれがスタート地点であったとしても、いずれはすべてが自然に稼働し連動するのが人間なのだ。
今回、セスクが残したコメントには賛否があるだろう。
「現代の監督が求めているのは競争力、つまりフィジカルが最大限の選手なんだ。嘆かわしいことは分からないけど、そういうものになったんだよ。ほかよりも速い選手と、少し遅いけど才能のある選手がいるとすれば、より強く速い選手の方がプレーする。それは間違いない」
確かに一理あるし、この言葉に同意できる部分はある。
ただ、速い選手からすれば違う意見がある。「僕は考えるより先に体で表現する方が得意なんだ」と言われたら、読む側も「自分の強みで戦っているんだな」と、たぶん納得する。
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